いい本を教えてくれる友人はいい友人である

大学で先生の真似事をやって、うかうかと随分な時間が経ってしまった。
当初は広告の「企画」、次いで「プロデューサー論」かな、そして最近のものは「日本語のレトリック」で、この最後のものは、さすがに自分でも相当に言葉関連の本も読み勉強もした。

一貫して本を読め!読め!と言い続けて、次々と本を紹介したが、今日日の学生は何かと忙しくなかなか読んではくれない。

「学生時代に本を読まないのは勝手だけど、そのつけは全部自分が払うんだから。知識や教養は力じゃないと思っているやつはずいぶん増えたけど、結局、無知なものはやっぱり無知ですからね。どんなに気が良くて、どんなに一生懸命でも、ものを知らないというのは自分がどこにいるか知らないことですから」

……という宮崎駿さんの言葉を取り上げて鼓舞したりもしたが、どれほどの触発になったものやら……。

まあ、本を読む学生はすでに小・中学校の時代から読んでいるし、本を読む習慣のない学生はそのまま社会にずるり!と出て行ってしまう。そこから苦労するのは勝手だ。二十歳だとして、10年ほどの間に失い続けてきたものを取り戻するためには、また10年の歳月を必要とする。いや、もっと掛かるだろう。


「本を読む」ことにいつもアクセントを置いてきたせいなのか、彼ら学生から本をプレゼントされてきた。意趣返しだったということではないと思うが……。
(以下、著者敬称略)


①『魂がふるえるとき』:宮本輝

宮本輝が若い人から、「いい小説を読みたいけど、何がいいですか?」と聞かれることが多く、それではと都合18人の作家の短編を抽出してきて“物語の贈り物“をしてやろうという趣旨の本。

井上靖の『人妻』は原稿用紙2枚。文庫本で1ページ。だが、膨大な心と人生を果実のひと雫に滴らせている。
尾崎一雄の随筆『虫のいろいろ』。20代の頃、文芸誌か何かで読んで印象深いエッセイに数十年ぶりに遭遇した。これを読んで以来ずっと蜘蛛を尊敬していたのだ。

これをプレゼントしてくれた男子学生はそもそもラッパーで、それから言葉に関心を持ち始めたと言う。それゆえコピーライターになりたがっていたけど、今は広告代理店で営業をしている。


②『ショートソング』:枡野浩一



口語短歌の歌人である枡野浩一の小説なのだが、多くの短歌が登場してきて、いい感じに綯い交ぜになっている。
もともと短歌には季語というものがなく、それが口語になっちゃうと本当に自由な天地になる。
彼は自らを「世界で一番売れている現役男性歌人」と称しているが誇張ではない。伝統的な歌壇がほとんど秘密結社めいているのに対してこの“流派“はオープンで仲間も多い。彼はコピーライター、エッセイ、小説、お笑い芸人などいろいろなことをやってきたが、すべては口語短歌をやりたいがためと見える。
詩人の草野心平は酒場もやっていたが、詩人を成立させるために酒場をやっていたわけで、酒場のオヤジが詩を書いていたわけではない。枡野浩一も口語短歌以外は世過ぎ身過ぎなんだと思う。

こここに載っていた短歌で好きなものを二つ。

好きだった雨 雨だったあのころの日々 あの頃の日々だった君
                         (枡野浩一
だいじょうぶ 急ぐ旅ではないのだし 急いでないし 旅でもない
                        (宇都宮敦)

これを呉れた男子学生はmixiで口語短歌の同人会をやっていたが、
卒業して今や広告代理店の営業をやっている。


③『白磁の人』:江宮隆之


韓国から留学生がいた。「厳兄」という強面の名前だった。
私は留学生にはすごく弱い。慣れない第二外国語で授業を聴き、テストをクリアしていくのは半端なことではないのは身に沁みている。自分もアメリカの大学で悪戦苦闘したからだ。

そのころは、今ほどではないにしても韓国や朝鮮に対してヘイトする気分が隠然と存在していた。
在日韓国人の息子である劇作家の「つかこうへい」の名が「いつか公平に」という彼の祈りから来たというくらいだから、差別はずっとあり続けたわけだし……)
そんなこんなで、彼に司馬遼太郎さんの『からの国紀行』を贈った。


この本は……
「私が韓国にゆきたいと思ったのは、十代のおわりごろからである」……その宿願をはたすため、いまだ“日帝支配三十六年”の傷口の乾かぬなかをゆく。素朴な農村をたどって加羅新羅百済の故地を訪ね、「韓」と「倭」の原型に触れようとする旅は、海峡をはさんだ両国の民が、はるかいにしえから分かちがたく交わってきたことを確認する旅でもあった。……と述べ、実際、“地理的な差異はあるものの文化的には一衣帯水である“というニュアンスを述べている。

「この司馬さんのように君の国のことはきちんと深く理解している人もいる。君もみだりにへこたれたり、落ち込んだりはしないように。胸張って大通りを歩け」と言ってプレゼントした。

そのあと、彼がプレゼント返しをしてくれたのが、この『白磁の人』
植民地政策下の挑戦で、民芸の中に朝鮮民族文化の美を見つけ出し、朝鮮の人々を愛し朝鮮の人々から愛された日本人林業技師がいた。浅川巧。日本では知る人が少ない。現在もソウル郊外の共同墓地に眠る。碑文にはハングルで「韓国が好きで、韓国人を愛し、韓国の山と民芸に身を捧げた日本人、ここに韓国の土となれり」

この浅川巧さんは韓国の教科書にも記述されてと出てくると厳兄は言っていた。

その彼はソウルで日系のゲーム会社で頑張っている。


④『鈴のなる道』:星野富弘


<花の詩画集>という副題が添えられている。ナニよこれ?と思って多少パラパラと読んでいるうちにある記述にぶつかった。

この星野さんという人は元・中学校の体育教師だった。クラブ活動の指導中に誤って頸髄を損傷して手足の自由を失ってしまった。
(へ?)
「私が一つの作品に仕上げるのに大体十日から二十日かかります、
一日にどんなに無理しても二時間くらいしか筆をくわえられません」
(えっ!……筆をくわえてなのかァ……この絵も文字も)


彼は電動の車椅子に乗って詩と画のハンティングに出掛ける。未舗装のでこぼこ道を通る時には脳味噌がひっくり返るほどの振動に往生していた。ある人が鈴を呉れた。それを自分の手では振ることはできないので、車椅子にぶら下げた。すると、でこぼこ道に差し掛かると澄んだ音色がチリンチリンチリリ〜ンと鳴る。今まで苦痛でしかなかったデコボコ道が楽しみになったと言う。
これがこの詩画集の題名になっている。


⑤『みすゞさんぽ』:金子みすゞ




作家も本の名も知ってはいたが、この詩集が自分の手元に来るとは露ほども思っていなかった。

その中の一つ。


 雨のあと

日かげの葉っぱは
泣きむしだ
ほろりほろりと
泣いている。

日向の葉っぱは
笑い出す
なみだの痕が
もう乾く。

日かげの葉っぱの
泣き虫に、誰か、ハンカチ
貸してやれ。

明治36年の生まれ。20歳くらいから詩作に。23歳で結婚して一女をもうけるが、夫がみすゞの父親との相克などによりその女の子を連れて離婚することになった。そうはさせじと服毒自殺をして阻止しようとした。まだ若い26歳の母みすゞの死であった。
ハンカチが欲しかったのは彼女自身だったのだろう。


⑥『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』:立花隆




田中金脈問題を追及して一躍全国区のルポライターになり、今や社会、宇宙、脳、生と死などなどにまたがる“知の巨人“と称されるあの立花隆の本である。書庫兼書斎の通称猫ビルに10万冊と言われる蔵書を有している。
この標記の本だけで300冊のダイジェストが詰め込まれている。自身でも言っているが、彼の読書というのは“職業としての“が頭に付く。アメリカの大学生が必須の「スキム・リーディング」というやつだ。つまり、“要約と引用“と言い換えてもいい。

だが、この脆弱な読者はイントロ部分でお腹がいっぱいになり、ちゃんと読まないまま書棚に飾ってある。贈ってくれた学生に合わす顔がない。ま、それが学生たちの企みだったのかもしれないのだが……。

※④⑤⑹は何人かの学生がカネを出し合い、私の誕生日祝いとしてプレゼントしてくれたもの。


⑦『夜露死苦〜現代詩』都築響一



「アートの最前線は美術館や美術大学ではなく、天才とクズと、真実とハッタリがからみあうストリートにある」

と目から火花が弾けるような名言を吐いた都築響一の本である。『ポパイ』『ブルータス』の編集に携わり、その後現代美術、建築、写真、デザインなどの分野で編集・執筆で活動する学際、業際の人だ。彼の定義するストリートの“アート“ をずっとコレクションをしてきている。





最初のページにある


人生八王子

という現代詩にドギマギする。老人病院の介護士が書き留めたものだという。痴呆系とジャンルされている。今なら認知系か?


秋天
母を殺せし
手を透かす

桜ほろほろ
死んでしまえと
降りかかる


母親を殺し、31歳で死刑になった男がいる。その処刑前の絶句である。


今年から貝が胃に棲み始めました。

誤変換。シュールだ……。

他に、タイトルになっている暴走族系の「ポエム」、玉置宏の名調子、ラップや演歌の文句などなどがぎっしりと並ぶ。
これは間違いなくスゴ本の一つだと思う。

この本をくれた女子の学生は、好きな言葉を挙げなさいというホームワークに「あけもどろ 」という言葉を提出してきた。沖縄・奄美諸島に伝わる古代歌謡「おもろそうし」のなかでの言葉で、海に登ってくる日の出……さまざまな色が混じり合い飛び散っている壮観を描写する言葉だという。
言葉のセンスがきらきらしていた彼女。その娘(こ)が、この『夜露死苦』をなぜくれたのかは、分かるような分からないような……。

彼女は現在エンタメ情報e-マガジンのライターをイキイキとやっている。


⑧『カラフル』:森絵都


たくさんの児童文学賞をもらった後、小説にも進出してきて、この『カラフル』の後の『風に舞い上がるビニールシート』で直木賞を貰った森絵都の小説の文庫版。

「ぼく」というのが死んじゃっているのだが、天使の気まぐれで、自殺した小林真という中学校三年生の肉体に入り、彼を演じ始める……というもの。
確かにティーンネージャー向けと言われているだけに、読みやすいがプロットの立て方その他が児童文学に片足は突っ込んでいる。

この本の贈り主は、詩作をしていて、詩の朗読会にも参加している女子学生であった。
彼女はアルチュール・ランボオ宮沢賢治と同じように「共感覚」の持ち主であった。小学校の頃よりの半端ない読書量とその「共感覚」が“角筋“のように効いている鋭敏な言葉の感覚……。
いまだに、詩作に打ち込んでいるといいな……。


長くなってしまった。

人生はせいぜい50年とちょっと。他人の人生までは経験できる時間はない。だが、本は他の人生を垣間見せてくれる。ちょっと覗けたり、ときには、上澄みのクリームをちょこっと味見なんかもできたりする。
そうなんだ、新たな本との出会いは新たな価値観とか今までとは異なる視座を与えてくれる。

信頼できる人から勧めてもらった本はなるべく読むようにしてきた。素晴らしい出会いを数多く経験してきてきたから……。学生たちから贈られた本も私の人生に魅力的な彩りを加えてくれた。「あけもどろ」なのである。

「いい本を教えてくれる友人はいい友人である」

……ってどこかで聞いた。
彼らも十分に「いい友人」だ。


(完)