Green Green Grass of Home

いつだったか、そう、もう12〜13年にもなるのだろうか?ニューヨークのペンシルバニア・ステーションからアムトラックのレイクショア・リミテッドという線に乗って北に向かった。まっすぐに延々と行くとモントリオールまでも着く。途中で右に行けばボストン。左に行けばシカゴにも行ける。ボクはほんの4つ目のハドソン駅で下車するのだが……。
そこには永年の友人のアメリカ人が一家四人で暮らしていた。何の用事だかすっかり忘れてしまったが、とにかくNYCにいて、ここまで来たのだからと電話をしたら、“そのまま帰る積りじゃないだろうな、家に来い”と言う。

大昔、アムトラックでワシントンDCからこのNYに来たことはあるが、これが二度目の乗車。
ペン・ステーションを離れてからしばらく地下を潜るのだが、車窓の外は屈強な岩盤がむき出しに見える。マンハッタンはたった一個の巨大な岩でできているという話を聞いたことがあるが、まざまざとその証拠の一端を見た気がした。地上に出ると広やかなハドソン川に沿うように進んでいる。

目的のハドソンに着いた。下車。プラットホームではなく線路に降りることになっているので、中二階から一階に降りるくらいの落差を感じる。要するに、西部劇でカーボーイのお兄ちゃんがサドルバッグだけを担いで、“さーてと、しばらくはこの町で”と降りる雰囲気ではあるんだけどね。

その駅舎の柵にに凭れて友人のHMと娘のクリンテインが待っていてくれた。当時彼女は6〜7歳くらい。(彼女は日本で生まれだから赤ちゃん時代は知ってはいるが、すでに小学生になっていた。……それが今は大学3年生かな?)
人の記憶というものはみんなはどういうカタチでファイルしているのだろうか?ボクの場合は画像とか映像でファイルされていることが多いような気がする。この時のも駅舎横の柵に凭れて笑顔を見せているHMとその横でどういう顔していいかわからないよ……というクリンティンのツーショットの画像になる。

そして何時の頃からかこの画像に歌が乗るようになってきて現在に至っている。“Green Green Grass of Home”という歌だ。日本では山上路夫作詞、森山良子の歌う『想い出のグリーングラス』である。


 汽車から降りたら 小さな駅で
 むかえてくれる ママとパパ
 手をふりながら 呼ぶのは
 彼の姿なの
 思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム
 帰った私をむかえてくれるの
 思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

子どもの頃に遊んだ庭の樫の木もそのままで……

<都会で頑張ってきたのだけどいろいろボロボロになり……
でも、故郷は暖かく迎えてくれる……>

……と続く。


そう、ずっと思ってきたのだ。

だが、世の中には予想外の事がよく起きる。
原詞をよくよく検討してみると、一番目と二番目の歌詞はまあまあこの山上路夫さんの詞とほぼ同一なのだが、三番目はそれまでの一番目と二番目は夢を見ていたんだと、言わば大ドンデンになる。要するに上記の<   >の部分は大嘘というか冒涜しているというか……。
本当は次のようだ。
【夜が明けたら、牧師と看守に手を取られて歩くことになる。せめて、あの樫の木の下に横たえておくれ】

つまり、死刑囚の歌なのだ。死刑前夜なのだからよく寝られなく、それでもうとうととまどろんだときに、故郷の風景、彼女の金髪、紅い唇そして樫の木を夢に見たという悲しく痛ましい歌なのだ。
それがなぜこんなに手垢にまみれた“いい話”になってしまうワケ?

ミシシッピーのデルタで生まれたブルースには「プリズン・ブルース」というカテゴリーがあるが、カントリーにもそういうジャンルがあるんだね……。この歌はジョーン・バエズ、トム・ジョーズ、ジョニー・キャシュなどが歌っているが、ここはエルビス・プレスリーにやってもらおう。白人で初めてブルースを取り入れたと言われている彼に……。当たり前だけど、感情移入がすばらしい。


話が大脱線したので、本線に戻す。

死刑囚でもないボクはその駅から彼の車で30分。『大草原の小さな家』のような彼の自宅に着いた。そこには彼の日本人の奥さんと、初めて見る妹のハラが待っていた。二人とも将来美人になる事が十分に予想され、後年そのことは見事に証明された。

あの広大な農場の脇にポツンとある緑したたるロケーションが“Green Green Grass of Home”とも密接に繋がっていたのに……。う〜む。

まあでも、BGMはこのままでもいいとしようかな……。

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HMと初めて知り合った30年くらい前は彼は作曲家をやっていた。多彩な才能を持つ彼は絵画にいつの間にか転じ、その「大草原の小さな家」の近郊の風景を絵筆に捉えるようになった。日本にいるときには墨絵にも手を染めていたが、アボリジンの点描に影響を受けたのか独自の技法を開発して、今やアメリカ各地で展覧会を催している。
Youtubeに彼のプロモーションビデオが載せてあるので、それを紹介しよう。

(完)