矛盾代理店


いわゆる広告代理店というものが世の中にあり、そのなかでとりわけDという総合広告代理店(代理業)が“悪の権化”とされている。つまり、この世の中のスムースに行っていないさまざまなことどもに須らくDが関わりを持っていて、ダイスファンクションナル(dysfunctional)に作用しているという硬直的かつ小児的な論法である。新聞記事が偏向しているのも、民放が番組制作会社を貪っているのも、しょうもない番組しか作らんのも、なんだか韓流の番組やタレントが跋扈しているのも全てはこのワルダコのセイなんだというのである。

しかし不思議なことに、彼ら自身の営業品目として「リスクマネージメント」がありながら、我が身に降りかかる火の粉を払ったことがない。自らが反論や弁明を述べたことは一度としてないのだ。とにかく、そのような流言飛語に恬淡としているように見える。むしろ、そのようなルーモアが拡散したほうが彼らの企業イメージが高まるのだから妙な刺激はしない方がいいと信じているようにさえ見える。いにしえの「悪」という言葉には「強い」という意が包含されていたんだよねってニヤリ!としている気配さえある。

話を転ずれば、今の日本のさまざまなシステムが活き活きと機能して将来に向かって健康な夢を紡いでいるなんてことはよっぽどのオポチュニストでも思わない。矛盾だらけだし齟齬だらけなのである。敗戦で旧弊に属した仕組みをことごとく投げ捨て若々しく希望に満ちたソーシャル・システムを作ったが、その制度や価値観も50年以上酷使すればサビも浮きアカも溜り、金属疲労によるヒビも相当に深刻な事態になってきている。

もちろん、広告代理店というのは企業のマーケティング活動のフラッグシップたる広告を企業の意を体して立案・実施・検証することを第一義としてきたし、今現在でもそうだ。(今後はその「広告」の立ち位置が相当に怪しいのだが……)
もちろん、Dの場合は、それ以外に“個商”とジャンルされる領域もある。つまり、自らの発意で「仕入れ」を行い「販売」するという代理業務以外のビジネスである。スポーツの権利関係のセールスが代表的なものになる。そして、これが故に「代理業」としての輪郭を不明瞭にしており、ますます怪しげな“フィクサー”感を増大させていることは否めない。

で、落ち着く先が、この広告代理店が矛盾の塊の代理店であると断じたいわけではなく、この会社は世の中の「矛盾」でメシを食っている組織だと思うのだ。
彼らの最も中核なビジネスである「広告」をケースにすれば……。大変重要な新製品の新発売というクリティカルな状況においてさえ、得意先である企業の①製品開発部②マーケティング部(宣伝部)③営業部の三者が打って一丸になっていることなど珍しい。「呉越同舟」。そのため、Dがときには①や②の意思を“身代わり地蔵”で③に伝えたり、③の考えを②にマッサージもする。つまり、ときにはショクアブサーバーとして機能したり、敢えて仮想敵を演じたり、メディア(媒体)になったりして得意先の課題解決に当たる。そして往々にして、彼らのセクショナリズムをそのままDの内部に持込み、内部で対立したり相克したりする。つまり、得意先の矛盾を我が身の矛盾に移植してその解決を図るのである。“矛盾を代理する”という方法論である。それまでしても、到底二次元平面上では解決できないときには虚空の彼方の三次元からの観点とか軸を設定して、そこに関連の三者を編みあげ巻き込んでいくやり方をとることもある。それを世間では“コンサル機能”と言ったりもする。

これらを巷間では“悪達者”と呼ぶのかも知れない。悪達者上等じゃねーかなのだ。上記は典型的な一つの例題にすぎない。彼らの業域と商う企業・組織の多さを考えれば「矛盾」の数はハンパではない。でも、ウエルカムなのだ。矛盾とか撞着、齟齬、乖離こそがビジネスチャンスと心得ている。(多分この課題解決力の凄さは余りにも有名な『鬼十則』から敷衍して出てきた当然の帰結のような気もする。「鬼」のDNAが継続している……)
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「悪役を買って出る」とは言い過ぎになるが、だが「ワル」と言われても彼らは不機嫌にはならない。むしろ嬉しそうである。また不思議なことに、得意先や世間からそう言われて否定をすると、その事がますます強い磁気を帯びてくる。東映映画のその種映画で、高い位のヤーさんが慇懃で紳士にへりくだるほど凄みを増すのと似ているかもしれない。

世界に類を見ない広告をドメインとしながら高いコアコンピタンスを持つプラットフォームを築いたこの会社がこのまま次の時代にも王座に君臨できるかどうかは解らない。しかし、次なるプラットフォームを狙おうとする挑戦者はいまのところ見当たらない。彼らの真の不幸はリスペクトに値するコンペティターがいないことなのかも知れない。賢くてしたたかなライバルがいてこそ、自分自身の弱点や足らざるところを是正したり改善したりできるものだ。

彼らよりもさらに賢くてしたたかで、もっと悪食で悪達者な次代を狙うプラットフォーマーは出てくるのだろうか?
ひょっとして、海の向こうから来るのだろうか?

(完)