サラダ・ボウル②

首都ワシントンDCの中の、それこそ「ホワイト・ハウス」から数ブロック離れたところにあったのがボクの行っていた大学であった。

ベトナム戦争が」どう言い訳しても “敗北”に終わり、その憂鬱と屈折が社会のいろんなところにべったりと張り付いているような……そんな時代だった。

アメリカを形容するのによく使われる“メルティング・ポット(坩堝)”という言葉があるが、そんなにいろんな人種・文化・風俗が溶け合っているわけでもない。精々“サラダボウル”ぐらいなものよっていう人も多い。
この首都にあるこの大学の学生達は世界各国から来ていて、それがやはり“サラダボウル”になっていた。

この「サラダ・ボウル」を、つまりは『複雑系』(”Complex System”「サンタフェ研究所」などの研究)って言い換えられるのじゃないかと指摘する友人もいる。多分、それでいいと思う。

学生の社交場ともいえるキャフテリア(学食)そして教室で出会って話しをしたいろんなヤツら。

(①ではすでに5人紹介した。この②ではさらに5人紹介したい。)


●ペク(韓国)


キャフテリアでたまたま横の席に座っていた韓国からの留学生。持っていた辞書が日本の研究社のコピーの英語—韓国語版であった。

「これ日本のものがオリジナルなのを知っている?」
「えっ?これは純然たる韓国のオリジナルですよ!」

その頃の韓国には著作権という観念がほとんどなく、かつての日本が“コピー・キャット”と呼ばれたのと等しく“コピー天国”であった。
だが、誇り高い韓国人とこの辺りでデベートしても際限もないので、いい加減なところで切り上げた。

が、彼女からは二の矢がこちらに打ち込まれた。日本が朝鮮を植民地にしていた時代のことだ。

「ドカドカと土足で他人の家に踏み込んで、散々荒らして、手当り次第に金銀財宝を盗んで行ったのが日本人なのよ。秀吉、倭冦の頃からあなた達は生まれつきの侵略者なのよね?」

(われわれは征服側なので、この辺りの消息はきちんとは教えられてないが、彼らは征服された側なので、事細かく小中高と歴史として教えられているようだ。今考えれば、「慰安婦問題」に言及がなかったのはまだしも幸福であったかも知れない。)

「仰るとおりです。だからこそしかるべき賠償もして来たし、今でもしているはずだ。それで全てがチャラになるとは考えてはいないが……。だが、ボクは日本政府を代表するものでもなんでもないので、個人としてはそう言われても申し訳なかったということしかないワケで……」
「……」
「でもちょっと考えてみて欲しい。先の『ベトナム戦争』で韓国は『猛虎』とか『青龍』といういかにも猛々しい精悍屈強な部隊を送り、散々北ベトナムの兵士とか市民を殺して来た。「ソンミ村虐殺事件」に似たケースもあったと聞いている。
今は北ベトナムの国になっちゃって、彼らから韓国人の一人としてあなたがそれらを難詰されても、どうしようもできないでしょう?」
「とても、解ります。……それにしても、今まで日本人は性悪の悪魔だと思っていたので、近くに寄るのも憚っていました。でも、今日は思いがけなくあなたと話ができて、良かった。日本人も人間なんだと……」
「人間だよ、そりゃ」


●ムハメッド


この大学の外国人留学生の多数派がイラン人だった。この時代まで王朝が続いていて、“キング・シャー”の時代であった。この王朝から多額の寄付金がこの大学に流れ込んでいる様子であった。
一説によると、毎日テヘランからジャンボ一機分の学生がアメリカに来るといわれていた。それが全米の大学に散ってゆく。
ラテンの南アメリカからの学生とイランからの学生は酷く行儀がわるくアメリカ人の先生も往生していたが、これとて価値観がまったく異なる文化から来ているだけのこと。

ムハメッドとも、キャフテリアで知り合った。どうやら下級貴族の出であったらしい。アラブ首長国連邦から来ていたナイス・ルッキング・ガイは、国に帰ったら大臣になるんだと言っていたが、ムハメッドはそうはいかないって言って、しょっぱい顔をしていた。

日本の事をいろいろ訊ねてきて……

「日本人は日頃は何を食べているんだ?」
「大概は魚かな……」

と答えると、目をまんまるにして、
「日本人ってそんなに金持ちなのか?!オレたちは年の一度の祭りの時くらいしか魚を食えない!」
「いやいや。キミたちは普段何を食っているんだ?」
「肉だ」
「日本人は肉を毎日は食わないよ。肉は魚に比して高いから」


留学生の英語というのは母国語を濃厚に反映しながらしゃべる。各国の訛とロジックの英語を聞いた後にアメリカ人学生としゃべると、“何とクリアな表現か”と感嘆する。
ムハメッドの英語はその訛は置いておいて、話が長くくどくどしていて、さらにアメリカ文明についてのもの凄い批判、そして自分たちの歴史がいかに素晴らしくて長いかの自慢に閉口する。話が長いのは彼ら「セム語族」の特徴を反映しているのに違いない。ペルシャの『王書』(『シャー・ナーメ』)も気が遠くなるほどに長い。

しかし、アメリカに対しての悪口雑言には耳が汚れる。

「ムハムンド、キミはこの国に何をしに来ているんだ?エンジニアリングだよな……」
「そう。都市工学だ」
「キミの国にはこの学問を教えるところはないの?」
「ない」

(こっちは知っていて訊いている。その当時のイランには大学は国立のものが唯ひとつ。工学系はほとんどなかった。)

「ならば、アメリカの事を好きになれとは言わないが、少なくとも理解しなきゃならないんじゃないか?キミの『都市工学』というのもこの文明から起き上がってきているものなんだから……」
「……」
「日本はね江戸時代において男子に限っていえば、識字率がおよそ50%。現代に至ってはほぼ100%だ。このアメリカではやはり90%くらいは行っていると思う。キミの国ではどうなっている?」
「……それで?」
「確か……キミの国では識字率は2〜3%だよね。キミの言う素晴らしくて長い歴史がそういう識字率しか産み出さなかったってことだよ」
「何が言いたいんだ?」
ペルシャの昔はともかくとして、現代の国家の力というのは国民の識字率の高さに支えられていると思うのだが、どうだ?」
「キミの言わんとするところは解るが……、賛成しているワケでもない」

彼らはなかなかyesとは言わない民族だ。

そのオシャベリな彼も政治向きのことになると、周りを窺いながら、声を潜めて小声でしゃべる。毎日ジャンボ一機分の学生がこのアメリカに配達されるのだが、その中に一定数以上の「サバク」(王直属の秘密警察)が紛れていて、王制の非を唱える者をウオッチしていて、本国の牢獄送りにするんだという。
彼がアメリカのシステムに対して非を鳴らすのは至極フリーに振る舞っているが、自分の国に対してはサイレンスを保つ。こちらから見れば100倍も1000倍もイランの方が問題山積だ。彼とてそれは解っていたはずだ。だから、一種の“代替消費”をしていたのかも知れなかった。


H君:


随分と懐かれた学部生の日本人。
関西の出身であった。高校を出て近畿の私鉄に勤めたが、肌が合わずにアメリカに来た。
このワシントンDCの石油業界のタイクーン(大立て者)の邸宅に厄介になっているが、労働ビザを持っていないらしく、学生ビザでこの国に滞在している。つまり、向学心があるわけではなく、アメリカに居られる最小限の条件を満たすために、1セメスター(学期)に一つだけ授業を履修する。その授業料はその身元引受人が支払ってくれるが、彼へのペイとイッテコイになるから、彼の手元にはほんの僅かしか残らない。

……とまあ、こうなるのだが、酷く口の重いヤツで、広い野原にまばらに生えているタンポポがポツリポツリと咲いているようにしか喋らない。だから、こちらがそれらを丹念に手で摘み、それらの単語とか一言半句を編み込んで花束にすると前記のようになる。
まあ、昔風に言えば“家隷”だし、進駐軍風に言えば“ボーイ”と呼ばれる身分にしか見えない。
そういう状況でかれこれ8年ここにいるのだが、英語もさっぱりだし、友達がいるわけでもない。そうだとしても、大学に来ているときだけが自分の時間がある程度自由に使えるので、楽しいと言っていた。嗚呼……。

彼は最も大切なことを言わない。もしくはそのような概念とか思想をハナから持っていないのか、もしくは表現のデバイスとしての言語を持ってないのだと思う。マア、両方なんだろう……。
それだからなんだろうが……、彼の30年の人生もしくはアメリカでの8年の経験から醸し出されてくる風韻とかペーソス……酒精分などの種類の物が金輪際ないワケで……。
とにかく、聞いた方がただひたすら暗澹たる思いになる。茫漠たる荒野で冷たい木枯らしに身を晒しているような、何とも切なく凍える想いだけが残るのだ。

だから、最後まで彼にはこの質問ができなかった。

「何がよくてここにいるの?」


●フレデリーク:


アメリカ人学生っていうのは男といわず女といわず、夏はジーンズにTシャツ、冬はそれにダウンジャケットを羽織り、頭はニット帽が定番であった。ま、sloppy(だらしない)というか気の使わないどうでもいい格好をしていた。
そんななかにあって着こなしが粋で、同じジーンズでもファショナブルで、皮のバッグもアメリカでは見かけないオシャレなものを肩から掛けている女子大生がいた。
とりわけ目立ったのはヘア・スタイル。1957年の映画『悲しみよこんにちは』でセシルを演じたジーン・セバーグのヘア・スタイル「セシル・カット」のようなショート・ショート・ヘアであった。これって頭の形も顔も素敵じゃないと似合わない。
彼女にはそれに似つかわしいすごく整って綺麗で小さな顔がショート・ヘアの下にあった。

キャフテリアでたまたま向いの席になったので、話しかけてみた。
人類学の専攻だと言っていた。

「名前は?」
「フレデリーク」
「それって男の名前じゃないの?」
「Frederickはね。私のはFrederiqueなの」

母親がフランス人だが、父親がアルジェリア人とのこと。だからかァ……肌の色がタン(浅黒い)だ。

一番の衝撃は彼女の瞳の色がエメラルド・グリーンだということ。
エイリアンのもともと意味は“異邦人”ということなんだけど、“異星人”という意味合いも合算して、彼女は正しくエイリアンであった。“これが同じホモ・サピーエンスなのか……”

話をしているときには当たり前ながら彼女の目を見る。エメラルド・グリーンの湖に溺れそうになる。
いや、いつも溺れていた。溺死寸前であった。


●ジョージ(Joji)


「Georgeじゃなくて、オレJojiだからね。Rの音は入れるなよ!」
って、彼はアメリカ人にいつも言っていた。譲治が本名らしい。
母親は日本人だが、父親はアメリカ人の軍属。詳しくは訊かなかったが、母親は日本にいて、父親はアメリカで違う家族と暮らしている。でも、その父親は譲治の学費は限度なく負担する事は約束している。だから、なるべく長く大学に居続けてやるんだって言っていた。
「復讐なの?」と訊くと、「そんなようなもの……」と答えていた。

そんな話をしているときに、例のエメラルド・グリーン・アイのフレデリークがわれわれの席に近づいて来て「ハーイ、Joji&Hideo」と声を掛けて来た。だが、授業があるらしく、すぐに彼女はわれわれの前から消えた。

「彼女知っているの?」
「うん、何度かsleepしたのね……」
「あう?!」
「さっぱりしない娘でさ……ぐちぐち未練ぽく……ヨーロッパの娘ってちょっと面倒……」

“聞きたくはないってば。もう止めろ!”
ボクがJoji自身に復讐したくなった。

世の中いつもこういう風に皮肉な裏切りをする。



(続く)