民は愚かに保て……か?

軽井沢で二日連闘で息子とゴルフ。ブルーマークのバックティからやろうという。受けて立ったのはいいが、毎ホール、ティーショットで常に80ヤード前後は置いていかれて、ゼーゼーハーハー。ヘトヘトで新幹線で帰京。

夜の9時頃、帰宅した途端に風呂の蛇口が壊れて、水が出っぱなし。盆休みで人がいるのかどうか?とにかく、電話をすると水道局の下請けのテクニシャンが一時間ほどで来てくれて、あっという間にフィックス。「もう相当に古くてガタ来てますね」「ま、もう16年ほどは使ってますから……」

その同じ日、エアコンが効かない。翌朝、これまたメーカーの修理セクションに電話。明日の日曜日10時には伺いますと。

そこへ軽井沢からの宅急便のゴルバッグが届く。

日曜朝。坊さんが棚教を上げに来る朝でもあり、両テンパイ。
坊さんも来て、エアコンのテクニシャンも到着。坊さんはカミさんに担当を任せ、こちらはエアコン担当。
ちらっと室内のエアコンを見て、「室外機の不調ですね」とポツリ。室外機のカバーを外して、「あ、やはり冷媒ガスが抜けてますね。30〜40分で治ります」
額に汗しているその30前後の男の頼もしいことと言ったら。


オランダのジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレン の『民は愚かに保て』 という名著がある。「見えない権力」をさらに強固にしているのは大新聞と官僚であると喝破した著作。“擬装民主主義国家“の病根にメスを入れている。


だが、この二日間で感じたのは、日本の労働力(技術、サービス)の品質の高さだ。
どっこい!「民は賢い」ということだ。
このダンドリの良さ、オン・スケジュールへの実直さと柔軟さの両立というのは、日本が米作農業で永年培ったものだと誰かが言っていた。つまり、「米つくり」というのは周年で気まぐれな天気天候を睨みながら、段取りに次ぐ段取り。段取りの結晶のようなもの。それが民族のDNAに落とし込まれているんだという。

アメリカで同様のケースが発生して、テクニシャンを待つのに、軽く3日から一週間は掛かる。それで直れば、幸運だ。
かつてニューヨーク・タイムスが、ボディショップ(車修理)に車を出して、使用前・使用後の状況を密かに調査したところ、以前より車の状態が悪くなったのが全体の30%くらいあったのにはひっくり返ったが、これがアメリカの現実。

アメリカ人男性の重要な教養科目にDIYがある。これはもちろん開拓者魂の一環で丸太小屋を自ら作り、生活周り用品も自分で工作するという伝統に依っていることはもちろんのことだろう。だが、現在ではアメリカ人自身がその種の労働力の質を信じてないことが、Do It Yourselfへドライブを掛けていると思う。

私は必ずしも、“日本は素晴らしい““日本民族は優秀だ““日本に生まれてよかった“音頭をアホのように楽しげに歌う人ではない。だが、この二日間の出来事にはうむむむ!と唸らされた。
それにしてもだ。
日本の行政、官僚、大新聞は日本の無辜の民の優秀さ・賢さに甘えているんじゃないの?と深々と思う。

(完)