『鳥』


サンフランシスコ空港からあの霧の「ゴールデンゲイトブリッジ」を渡って、ほぼ北に車を走らせて2時間で「サンタローザ」という町に着く。そこで荷物を解く。そこからさらにボデガ・ベイに行く。ここがアルフレッド・ヒチコック監督の傑作のひとつ『鳥』の舞台である。

その映画の中で小学校が出てくる。窓の外にカラスが二羽、三羽。カメラ切り返すと十羽二十羽となっている…さらに……ヒチコックの手練の技にみんなが怯えてしまったシーンだ。小高い丘に建つその小学校は実は前からレストランで、今でも食事を饗してくれている。


このボデガベイにはスペインがカリフォルニアを統治する前、ロシア人が入植していた。その当時はアラスカがロシアの領土であったので、沿岸伝いに南下してきたんだって思えばそれほど奇異ではないが、改めて「ロシアン・リバー」なんて名前の川に遭遇すると、馳せる想いはある。
その川のほとりのカフェで、生まれて始めて食べたハネジューメロン(その頃の日本には入ってきていなかった)には、甘さに危うく失神しそうになった。
もともと「カリフォルニア」というネーミングはスペインのロマンス小説のなかに“桃源郷”のように描写されている「カリフォルニア島」というのがあり、この地を最初に踏んだスペイン人が“これが、そうだ!”と思って付けたとされている。ユダヤ人が神から約束されたカナンは“乳と蜜の流れる地”であったが、ここには乳はともかく“蜜のしたたり”は確かにあった。

ロケハンをしながら、一足遅れて来る倉本聡さんを待っていた。このCMのタレントとして出演して貰うことになっている。倉本さんにとっては、“映画の神様”アルフレッド・ヒチコックの『鳥』の舞台への一種のセンチメンタル・ジャニー。だからこそ、難しいスケジュールをなんとかこじ開けてヤリクリしてくれた。

そのサンタローザのモーテルで彼と一週間ほど一緒した。彼はサービス精神が極めて旺盛で、座談の名人でもあった。毎夜、彼の部屋が「スナック・くらもと」になった。とりわけ、「小林旭美空ひばり」話は秀逸であったし、「木下恵介」話や「高倉健」話もすごく面白い。

カメラが回っている。倉本さんがその丘の上のレストランでワインを飲んでいる。…カリフォルニア・ワインの名産地ナパ・バレーはごく近い…。
『鳥』の主役の美女ティッピ・ヘドレンのイリュージョンを白日夢のように見ているが、ついには現れず、ただただワインに酔いしれていく…というようなセリフをしゃべってくれた。

パラパラといる見物人のなかで、とても知的でありながら親しみが持てる老婦人がいた。ブレイクのとき、彼女が話しかけてきた。CMの撮影であることと、日本で有名なシナリオライターが彼だと説明した。彼女はつい最近まで小学校の教員をしていたが、いまは引退していると言っていた。
そして、こちらから思い切って訊いてみた。

「顔立ちからすると、オリエンタル?」
「いえ、ネイティヴアメリカン・インディアンとも言うわね」
「成る程。前から聞きたかった事があるんだけど」
「な〜に」
「16世紀ころから、アメリカンインディアンの民族としての生命力が衰退してきた、という記述を読んだことあるんだけど、ホントかな?」
「ウソよ。西洋人が持ち込んで来たスモール・ポックス(天然痘)に対してまったく抗体を持っていなかったインディアンはバタバタ死んだのよ。部落全部、部族全部全滅というのも珍しくなかったのよ」
「……」
「生き残った者は者で痩せこけた土地に…そう“保留地”って白人が呼んだ檻に…追い立てられ、閉じ込められたのよ…これで民族として元気がでると思う?」

と憤るでもなく怒るでもなく、川の水が流れるようにさらさらと語った。

コロンブスが新大陸発見のとき、パトロンのスペイン女王に持ち帰ったものが胡椒の代替品のトウガラシ、トウモロコシ、馬鈴薯、カボチャなどだったのだが、ついでにアメリカン・インディアンの風土病の「梅毒」も貰って帰国した。探検隊がリスボンの港についてからあっという間にヨーロッパ大陸は「梅毒」により阿鼻叫喚のちまたと化した。あの当時のトランスポーテーションで一ヶ月以内に、ロシアの女帝がこの悪しき病に罹ったというから、昔から人間ってヤルことは大して違わない。
これは白人の略奪・殺戮そして天然痘に対して密かに仕掛けられていたインディアンたちの復讐ではないかって睨んでいる。

その50年後、イエズス会の宣教師が種子島に漂着して、鉄砲とこの「梅毒」を日本にもたらした。…神の使徒が、である。燎原の火が枯野を焼き尽くすように、梅毒は瞬く間に日本を席巻し蹂躙した。信長も罹病し、狂った。
……これは何の復讐だったのだ。

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ヒチコックはイギリスで生まれ、後半生はハリウッドで創作に打ち込んだ。その彼が、フランスで勃興した“ヌーヴェル・ヴァーグ”(映画の新しい波)の旗手たちから“ヌーヴェル・ヴァーグの神様”と尊敬を受け、とりわけフランソワ・トリュフォーは崇拝者であった。そのトリュフォーがヒチコックにロング・インタビューを敢行してまとめた『映画術』は映画のバイブルと言われている。
高価な本だが、買ってまったく損はない。

(完)