映画『ソーシャルネットワーク』にまつわる感想

mixiに書き留めたり、twitterでコメントしたり、facebookで書き散らしたのものを、まとめてみようと思い立った。
というのも、映画『the social network』が封切られてから、周囲がなんだか泡だっている。『週刊ダイヤモンド』の<フェイスブック特集号>も発刊された。
具体的に言えばtwitterをやっていた人々のうちで“意識の高い”連中がfacebookへ“民族の大移動”を開始し始めた気配がある。まあ、もともと登録していたのを、“それなら…”と掘り起こし、activateさせているというのが正しい表現かもしれない。かく言うボクも、アメリカ人の友人が開設しろとうるさくいうので、取り敢えず登録して放置しておいたものを少しいじりはじめている。

若き友人がこの映画を観て、「facebookのPR映画だ」って切り捨てたが、実際は当のマーク・ザッカーバーグがこの映画には完全なるノーコミットメントなので、それは言われなき中傷なのだが、確かにこの映画の封切り以後、静かだが確実なtsunamiは起きている。

この映画を初日に観た友人が「ロケンローだぜ!」と興奮していたが、確かに「青春映画」には違いない。アメリカのポスターが如実に語っている。「わずかであっても敵を作らずに、5億人の友だちを得ることはできない」という青春映画なのだ。

しかしながら、「どうなの?」という感じがボクにはほろ苦くわだかまる。まだゲームの途中である弱冠26歳の男を描写するのには、相当の困難が伴ったのかなって思う。若手実力者のコンビ、監督:デビッド・フィンチャー+脚本:アーロン・ソーキンをしても辛かったのかなって思う。つまり、ギークで内向的で“頭脳のオバケ”のマーク・ザッカバーグの内面の葛藤とか人間関係にも迫り切れてはいないし、社会そのものをクラック(ハック)しかねないfacebookというインフラの正体にも迫り切れていない。さまざまな伏線を張っているはずのtalktiveでマシンガンのようなセリフが度々宙を彷徨っていた。

冒頭近くのキャフテリアで、どう叩いても名前からしユダヤ系のザッカーバーグがガールフレンドのエリカへ

「キミは(頭の良くない)ボストン大学だし、ドイツ系だし……」

ととんでもないEQのなさを露呈して、エリカを激怒させ、フラレる。この事がfacebookにまで繋がっていく基点を作っている悪くはない出だしなのだが、仇敵同士のドイツVSユダヤの民族問題は置き去りにされるし、エリカも映画的には置き去りになる。

また訴訟の尋問の合い間、若い女性弁護士がマークへ、

「あなたは悪い人ではないのに、一生懸命悪い人になろうとしている」
と言わせながら、その事が二人の間にもストーリー的にも何も化学変化を起こさせていない。

その辺りの残念さは多々あるのだが、それでもこの映画は異なるアングルでボクの心を震えさせた。
1976年〜1977年、アメリカのビジネス・スクールで学んだ。(もちろん、ハーバードなんかじゃない…)その時の記憶が蘇って切なくさせる。

アメリカほど人種・性別・年齢・宗教などなどのdiscrimination(差別)がウルサイ国もないと思うが、唯一つ「学歴」に根ざす差別は差別にはならない。学歴でははっきり差別していい。

もうひとつ近くにあるのは、「シグナリング」ということ。ハーバードとかスタンフォードに入るということは、“オレは優秀なんだよ”とシグナルを世の中に発信していること。ハーバードに入って優秀になるのではなく、優秀な者がハーバードに集まってくるという峻厳な事実。(日本の東大だって同じ位置にある。)

高校時代から“クラッカー(ハッカー)”として有名であったマーク・ザッカーバーグがハーバードのコンピュータ・サイエンスに入って程なく感じたことは、“なんだ…オレが一番頭いいじゃん”という事だったと思う。
(「オレってめちゃくちゃ頭いいんだ!世界基準をはるかに凌駕している頭脳なんだ」って解るためには、世界最高といって憚らないハーバードとかスタンフォードという「場」が必要になる。)

その証明とかシグナリングが十分に発信されたのちには、ハーバードの先輩のビル・ゲイツがそうだったように、マークも学校を中途で辞める。(まあ、これ以上いても何の意味もない。)

そして、ボクの最大のポイント。

①顔でもなく歌でもなく、スポーツでもなく、このザッカーバーグのような“頭脳のオバケ”がその切れ味の鋭い脳みそだけを元手に億万長者になれる道筋がアメリカには用意されているということ。
② そんな「伝説の男」(ビル・ゲイツ、スティーブン・ジョブス、ラリー・ペイジ……etc.)が何人も&いまだにまだ若く現存していること。(ザッカーマンに至ってはまだ26歳!)
③そして、それらの人々を“ベンチマーク”にして追い掛け追い越してくる者たちが次から次へと現れてくるだろうということ。

―マークがネットワークのABCのインタビュー番組に出ていて、

「誰が競争相手なの?google?」
「いや違うでしょ。あなたもボクも知らない誰かだと思う」

現存する企業は視野にはない。トップ・ランナーであること意識しつつも、その自分を目標にして乗り越えてくる young lionsを十分に予感している。ちょっと前までは自分自身がソイツだったんだから。その仔ライオンはまだ10歳のデジタル・ネイティブかも知れない。0歳かも知れない。

ただひたすらに閉塞感に苛まれている日本の若者に比して、生きた伝説の男たちをたくさん持っているアメリカの若者のほうがずっと幸福だと思う……。


オバマ大統領が就任して自分の内閣を作った時に、“Best&Brightest”の人材を配したと演説していた。ああ、やはり……と思った。アメリカ人がしょっちゅう口にする言葉の一つ。“Best&Brightest”(最優秀)じゃなきゃアメリカ国内でもグローバルでも勝ち続けていけないと彼らは信じているから。「伝説の男」たちの全部が全部“Best&Brightest”なんだ。
日本みたいに「出る杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」が暗黙の社会的了解事項であり続け、その対案として、「チーム力」なんてことをウスラボンヤリ言ってきて遅れをとっている。つまり、これは個人の能力とか才能の不足とか欠如のカバーラップ(ごまかし)でしかない事はみんなが気づいている。

映画にしろテレビドラマにしろ、「チーム力」で高いクリエイティビティに到達したことなど、史上一度もない。真に必要なのは摩天楼のように屹立した個人の才能だ。
他の能力などはどうでもよく、たった一つの才能が異常に高ければ高いほどいいという価値観の取り方がこれからの日本でも必要だと思う。

イノベーションを起こすのは、いつだって『明日を待てない素人』なのだ」
というのはジョブスがitunesに挑戦して成功させたときの誰かの言葉だったかな……?
いずれにしても、若者はいつも素人。明日を待てない素人のはずではなかったのか?


アメリカン・ドリーム」というのがある。40歳くらいまでNYなどの東海岸で働き、ごっぽり稼いで、西海岸のサンフランシスコの南のスタンフォード大のあるパルアルト近辺へ引退をする。…というのが典型。この「ドリーム」をザッカーマンは20歳ちょっとでやってしまっている。(なんだか、ステロタイプねぇとジェラシーを込めて思う……)

このパルアルトのオフイスには至るところにHACKの文字がディスプレイされているという。
これはクラックのことではなく、彼らの業界のスラングで、「他人が考えなかった革新的な仕事」を指すのだそうだ。

かつてgoogleが「もし仮に世界政府というものがあって、その政府がやらなければならない世界中の情報をすべて整理する」という宣言を聞いたときに眩暈がした。そしてそれは現在壮大なインフラになっている。
マーク・ザッカーバーグが思ってきたことは「好きなことをトコトンやって世界を面白く変えてやろう」なのかも知れない。そしてfacebookは人間関係のインフラを構築し、societyさえもhackしようとしているのかなって思うアヤしさまである。

マークの非社交性ゆえに、このような新たな方法で交流する方法がやってくると彼自身が信じてないと彼は生きていけないのだ、というシニカルな見方もあるが、当たらずとも遠からずだと思う。

最後に……、この映画で忘れられないセリフがある。
ザッカーバーグfacebookがオレのアイディアであったと騒いでチクってきた凡庸な学生に、ハーバードの学長が「お前なにやっているの?恥ずかしくないの?」と当てこすりを言い、次の瞬間のセリフ……

「ハーバードは就職する企業を探しにくるところではなく、企業を作りに来るところなんだ」
と一喝するところで、観客である当方としても息を詰まらせうなだれた。
東大総長がこういう事を言う日が日本には来るのかしら?

(完)