クリスマス・ボート

いよいよクリスマス。クリスマスはやはり、凍えるように寒いサンタフェのクリスマスとかワシントンDCの吹雪のクリスマスや青森と緯度がほぼ一緒のニューヨークのそれが似合っている気がする。
ロックフェラー・センターのツリー)

でも今日は南国ロスアンジェルス近辺のクリスマスを……。

さまざまな民族の子孫がミックスしたアメリカでは、それがそのままに宗教もいろいろにある。しかし、最大公約数はやはりキリスト教だ。(彼らが「宗教は?」と聞いてくるときには、仏教とか回教を聞いてきているんじゃない。正確に言うと、キリスト教の「何派だ?」と訊いている。)だから、クリスマスというのはこの国では一年で最高のイベントということにどうしてもなってしまう。11月第四木曜日の「感謝祭」から「クリスマス」の約一ヶ月は傍目で解るほどにアメリカ人の足はふわふわと浮き立っている。オフイスは開店休業状態で閑古鳥がカア〜カア〜啼いている。ほんとに人影もまばら。

そんな宗教的な意味合いよりもむしろ、この広い国のいろんな場所に“成功のチャンス”を求めて散って離ればなれに暮らしている子供、兄弟が年に一度ファミリーとして集まる期間でもあるという意味の方が優れて強い。
つまり、アメリカ人が愛といたわりに最も満ち溢れるシーズンなのだ。それ故に、身よりのない淋しい人に積極的に声を掛け、自分たちのファミリーパーティに招待する。日本からの留学生とか単身赴任の企業人でこの真綿か羊毛のようなやさしくて暖かな愛に包まれた経験を持つ人は少なくない。(ボク自身、毎年招待を受けた……。)

それにしてもだ。クリスマスなんてものは子供の祭りの一つか若い人たちの“性夜”と同義語なんだろう位にしか認識してない日本人にとっては、アメリカ人達の桁外れの気合いの入れ方、根性のぶっ込みかたにタジタジになる。

ロスアンジェルスを東西に走るウイルシャー大通り。この片側で3車線の通りにイルミネーションでピカピカする横断幕が何十キロに渡り掛けられる。その一枚一枚が“クリスマス物語”になっている。そこを夜ドライブをすると、運転席を目がけてサンタやトナカイのソリやクリスマスツリーやトゥインクルスターや鈴やジーザスとかが迫ってきては頭上を通り過ぎていく。めくるめく“官能の嵐”。

いやはやこれはどうしたことだとタマゲルのは、ロスから内陸にちょっと入った古い街のパサディナ市のクリスマス・イルミネーションの饗宴だ。

この市から御褒美が出るコンテストが催されていることもあるんだろうが、ある街区は一軒残らずそれぞれの家が妍を競い合っている。なかでも、アイスクリームで財を成したという家のものは圧巻にして豪華絢爛。UFOからの光に照らし出されたようにまばゆい。美術館かなにかのようにデカイ家の庭の芝生にはクリスマスに因んだ人形たちが佇んでいるし、沢山ある窓々には様々なストリーが物語されているし、屋根の煙突には今しもサンタクロースが入り込もうとしているし、建物の輪郭に沿って隈取りのようにイルミネイトされている。とにかく、これでもかと言うくらいにテンコ盛りの状態だ。準備だけで一ヶ月は掛かると思われる代物。このために支払われたドル、光熱費はどれくらいになるんだと貧乏人は蒼ざめて、そして溜息を深くつく。まあ、一般庶民とすれば「わあ〜きれい」とだけ賛美し感嘆していればいいんだろうけど……。この時期の観光ルートにさえなっているのだが、見物料が取られるわけでもない。
富める者から貧しき者への聖なるおぼしめし……か。

ロスの南に、ベバリーヒルズにイヤケをさして逃げ出した“ニューリッチ”が住むニューポート・ビーチがある。ここは「クリスマス・ボート」が有名だ。
湾の岸辺のカフェのバルコニー下などに陣取り、ワインなどを飲みながら闇に溶け込んだ黒い海の彼方を見ている。そこに次々と大音量の音楽を響かせながらクリスマス・ボートの海上パレードがやってくる。漆黒のキャンバスに描かれた光のペイントは夢のように美しく蠱惑的である。大漁旗を林立させた漁船とか軍艦が祝祭日に信号旗を目一杯に飾りたてることを「満艦飾」と言うが、このボートたちもイルミネーションの「満艦飾」と言っていいんだろうな。


ドライマティーニ片手とかチーズケーキとカプチーノのカフェの客からは、地味な飾り付けのものにも、派手な飾り付けのものにも、やや平等な暖かい拍手が起こる。
先週まではマネー!マネー!と眼を血走せていたとしても、この聖なる季節は愛といたわりだけが唯一の価値なんだから……。

(完)