『また逢う日まで』

また逢う日まで』の尾崎紀世彦さんが昨日逝去した。
彼の人生とボクの人生はどこでも交わってはいない。だが、2年2ヶ月ごとに地球と火星がほんのちょっと近づくことを「大接近」と呼ぶが、それくらいの“接近”はあった。
ある電機メーカーのエアコンを担当していたときに、その当時よく仕事をしていた杉山由美さんという音楽プロデューサーに依頼して作詞:やなせたかし(『アンパンマン』の漫画家)、作曲:筒美京平でコマーシャルソングを作った。歌ったのは槙みちるであった。しかし、残念ながら広告主のOKがとれずボツになった。広告主のキャンセルから3日後くらいに杉山女史から電話があって、

「あのエアコンの歌……いい出来だったので京平さんは諦めきれないのよ。レコードでリターンマッチをやろうと思っているんだけど、広告主はボツにしたんだから問題ないよね。力のある新人に歌わせる積りなの。作詞は阿久悠さんにアテを頼む積り……。じゃ!」

広告主にも筋は通して一年くらいは経っていただろうか……。テレビから聞き覚えのあるメロディが聞こえてきた。熱唱トム・ジョーンズばりな尾崎紀世彦であった。

♪ふたりで名前消して そのとき何かを話すだろう♪

のところが元来は

♪それは○○のエアコン……♪

にはなっていたはずだったけど。とにかく、記録を全て塗り替え続けるような大ヒットであった。後から聞くと、ここまでに持っていくのには相当な紆余曲折があったようだけど、ヒットさえすればそれまでの全ての不都合までもが正義に成る。でも、尾崎紀世彦にとってみれば、この大ヒット過ぎたことが彼のその後のいろんな足枷手枷になったことを考えると、全ては正義では終わらなかったのだろう……。

日航よど号」がハイジャックされ、大阪吹田で万博が催され、市ヶ谷で三島由紀夫が割腹自殺した1970年の頃の話……。尾崎紀世彦さんの「レコード大賞」「日本歌謡大賞」ダブル受賞は1971年になる。


(完)