野球場ライブ・コンサート

常々思っていることなのだが、ミュージシャンほどステキな職業はない。うらやましい。自分自身が楽しいからやっているのだが、それが多くの人をも楽しませている。そして十分以上の生活ができる。
もともと「楽」というのはチャイニーズ・ハープからの象形文字。これを使った楽器演奏とか歌とか・・・・・・つまり「音楽」がやたらにたのしい。じゃ、「楽」という字を「楽しい」という抽象概念にも使っちゃうおうということだったという。「音楽」「楽曲」が先にあって「快楽」「悦楽」は後づけに過ぎない。

5月23日東京ドーム「ミスターチルドレン」。4万7000人。始まるといきなり総立ち。そしてウエーブ(でいいの?)。安くはないチケットを手に入れて、椅子もあるのに立ちっぱなしという絶対的矛盾。
自分の一挙一投足にこれだけの人間が反応してくれて、9万本以上の手が自分に向かって揺れ続ける。泣いている娘さえいる。
―それらをひとりステージから観る風景ってどんなものなのだ?
―観客からのリビドーとかパッションとか本能とかがミックスアップになったトロピカル・ストームのような嵐が自分の体にぶつかってそして通過していく感覚というのはどういうものなの?
―ごく少数の人しか享受できないこれらの恍惚感とかカタルシス。「楽」レベルを遥かに超えたこれらのものにみんな中毒になるっていうよね?
ドーパミン出まくりなんだよね?櫻井和寿さん・・・・・・。

(2009年「東京ドーム」)

いつもそうなのだが、ライブ・コンサートに来ても音楽そのに没入することがなかなかない。ついつい、よそ事を考えてしまう。よそ見してしまう。
「東京ドーム」のフィールドのところがアリーナ席になっているので、見慣れていない視線で野球場をみることになる。
どこかで見た風景だなああと思ったら、1994年のロサンゼルスのドジャース球場にワープした。この時もフィールドの椅子に座って、ナイター照明とは異なるステージ照明で様相の異なるドジャース球場を物珍しく眺めていた。

折しもFIFA国際サッカー連盟)「ワールドカップ’94」。前回の「ワールドカップ'90」はローマ大会であったが、そのローマの「カラカラ浴場」でこのパヴァロッティドミンゴカレーラスのいわゆる「三大テノール」がWCの前夜祭の“エンタティメント”としてはじめて結成された。
それがなぜか、「WC’94」のロスアンジェルス大会にも彼らはやってきた。彼ら三大テノール達がサッカーフリークだったのか、サッカー・マフィアのFIFA がオペラ狂いなのか……まぁ、両方であったのだろう。

当時、野茂が“トルネード投法”で沸かせていた「ドジャース球場」がその「三大テノール」の会場だった。
われわれのチームはそれまでに3週間以上は、帰宅が夜半の1時とか2時過ぎ、仕事は朝7時からという状態が続いていた。裏方は仕込みがイノチなので仕方がない。
そしてやっとこ「前夜祭」の「三大テノール」まで辿り着いた。 つまりこの「三大テノール」も“お楽しみ”ではなく“お仕事”の一環としてここにいる。

ロスの砂漠性の季候は真夏でさえ、夕刻以降はグングン気温が下がり、ちょっと肌寒くなってくる夜8時くらいの開演であったと思う。タキシードの三人衆がローマ遺跡の…コリントなのかロココなのかバロックなのか……ともかくそんな感じを模した円柱が何本も屹立しているステージに登場してきた。
アメリカのポップスとかスタンダードを交えて、なかなかのサービスぶりである。プログラムも進んで、いよいよフィナーレ。後年、荒川静香のイナバウワーとともに有名になった『ツウランドット(誰も寝てはいけない)』のテノールの共演に入っていった。


(94年ドジャース球場『ツウランドット』)

「東京ドーム」でもそうだったが「ドジャース球場」でも同じ事をしていた。音楽そのものでもなくステージでもなく、観客とか施設とかバックステージとか観察したくなる。いや、していた。クセなのか?

ドームではないここは、青天井というよりはほとんど黒に近い濃紺の夜空。
点滅灯の軌跡だけで気配を消して飛んでゆく飛行機。
スタンド越しに見えるライトアップされている椰子の木。
その椰子の葉が風にゆったりとまったり揺れている。
……そして母音の多いイタリア語のクライマックス。
1994年夏。いよいよ明日からWC'94開幕だ。

2007年にルチアーノ・パヴァロッティが他界した。いろんな要人も含め弔問客が、なんと10万人。そして、彼が遺した言葉。

「音楽のなかで生きるということは、美しく生きるということだ。そのことこそが、私が人生を捧げてきたそのものだ」

凄いなあ。ボクの人生とはまったく違う。ドロドロに汚くセコく生きてきちゃったし……。櫻井さんは“365日の心に綴るラブレター”。優しく生きてきたに違いない。うん。

(完)