徳川の血筋

〜「幕末の偉人の子孫が意外すぎる人生を送っている」というブログに触発されて〜

テレビコマーシャルの広告主へのプレゼンテーションは、通常「画コンテ」というものでされる。セリフが書き込まれた紙芝居と思って貰って構わない。この画を描いてくれる人のことを“コンテマン”と呼んでいる。あるとき、プロデューサーが新しいコンテマンを連れてきた。まだこの“業界”にデビューしたばかりらしく、体格はいいのに目付きは子犬のようにオドオドしている。最初の出会いだったので、彼がよろしくと名刺を差し出した。「徳川」と書いてある。その姓に続く名前も同様に厳かなものであった。なんたって、芸名の「徳川夢声」以外でリアルに徳川姓に接触したことなどない。とにもかくにも、日本を300年統治していた権勢ただならない名門中の名門である。とりわけ徳川家康は死んで「大権現」という神様にまでなっている。まさかと思いながら、

「徳川さんって、あの徳川幕府の徳川さんに繋がる人なの?」

って85%以上冗談で訊ねた。すると、

「……はい、実は恥ずかしながら……」
「えっ〜!」
(ほとんど、ひえ〜!に近かったと思う。改めてその彼の体躯・風貌を見ると、伝えられる家康に酷似している)

世が世よであれば、街道から飛びさがって田んぼの畦道に額擦りつけて蛙のように平伏しているところなのだ。もしくは、「下郎!そこに直れ。手打ちに致す」という無礼討ち合い、露と消えているかのどちらかだ。

日本という国は何とも不思議なところがある。天皇家を別にすれば、連綿と続く名門などない。むしろ、そんなものを持ちたくないという意思さえ感じる。維新後、貴族になった大名の末裔たちも、維新後の明治の元勲の子孫たちも現在俯瞰しても姿が見当たらない。少なくとも要所要所を占めていることはない。「ロッキード事件」の時に大久保利通の子孫が突如陽の目を見てほほう!と思ったくらいだ。三井、三菱のコンツェルンのなかに三井姓とか岩崎姓を見出すのはもはや困難である。
これは敗戦により、アメリカの清教徒の流れをくむ連中がそれまでの仕組みを根こそぎでひっくり返し、理想的な民主主義を極東の島国に移植しようと丹念&律儀に励んだことによるものではと睨んでいる。
そして、この「民主主義」というものは、カネが唸った相当の分限者でも、三代目にはタダの人になるようにデザインされている過酷な税制が必要十分条件になっているという気がしている。

フランスには「二百家族」という言葉がある。フランスの経済・金融に関しては200の家族が仕切っていて、それは政治や芸術の分野にも影響力が及ぶとされている。ロスチャイルド家に代表されるファミリーがそれである。
前述の風景をフランスに喩えて言えば、プロレラリアートの平民が「ルイ16世」の曾孫とか玄孫に……もしくはロスチャイルド家係累である“コンテマン”に「この駒をこっちからのアングルに直せるかな?」などと注文をつけているのに等しいワケだ。そんなことは時間としきたりが蓄積して成り立っているヨーロッパでは破天荒な出来事になる。

日本の敗戦後の駐留軍やマッカーサー統治に関していろいろな言われ方あるだろうが、「徳川さん、そうそう、そんな感じね。いいじゃない」などとわれわれ賤(しず)の男子(おのこ)がホザいてもいい、気のおけない風通しの良い国にはなったことだけは確かなことなんだ。

(完)