【愛しき動物たち④】「ハミングバード」

日本語で「はちどり」というハミングバードを生まれてはじめてこの目で見たのは、ロスアンジェルスから東へ車で二時間半ばかりのパームスプリングスであった。仲間何人かとその「ラキンタ・ホテル」のロッジに泊まった。
旅に出るとよくあるのだが、翌朝妙に早く目が覚めてしまった。早朝の散歩だ。(日本にいるときには、「早朝」ということもないし、「散歩」ということもない。)旅は人格をちょっと変える。広大な芝生に点在しているロッジからレセプションとかコーヒーハウスのある「本館」まで相当に歩く。朝の冷気がたっぷりのオゾンを運んでくる。このホテルのエントランス近くには築山のようなものが造作されていて、その頂の辺りから水が流れ出ていて、それが水路をたどりやや滝のように流れ落ちている。その麓のあたりに、いくつかのプランターが置かれてあり、色とりどりのペチュピアが植えられてあった。その前のベンチに腰を掛け、ペチュピアを眺め、ホテルの後ろの遠景に聳える草一本もない褐色の岩山が朝の光で赤く光るのを見ていた。その時、睡眠不足気味の頭でモア〜と考えていたことは、「胃袋はまだ朝飯を食べる準備には入っていないし…たとえそうでも、ひとりで食べてもなあ……」などという極めて即物的なことであった。
そのまだ完全に覚醒していない目になんだか逆らうものがある。ペチュピアに大きな蛾のような虫が花の蜜を求めて空中停止飛行している。待てよ……虫にしてはちょっと大き過ぎる。小さな鳥だ!耳を澄ませば羽音のバイブレーションも聞こえる。これが噂に聞く、ハミングバードではないのか?もっとよく見ようと寝ぼけ眼をこすって身を乗り出したとき、そいつはまるで蜂のような飛翔であっと言う間に飛び去った。

このパームスプリングスというのは、LA以上に「テラリウム」(ガラスなどの容器などに植栽をしたミニチュアの人口自然)である。緑があるということ自体が“例外的” なことである。その“例外”は人間が創っている。ここも広大な砂漠のなかに浮かんでいる緑の小さな点に過ぎない。99,9%は褐色の砂漠と岩山だけだ支配しているところなのだ。では、さっきのハミングバードはどうしたんだ?あれも人間が“移植“したものなのか?それとも、彼は緑と花に呼び寄せられて、茫漠たる砂漠を越えてどこからか飛んできたのか?
朝食時に同行した仲間にハミングバードの話をしたが、まったく誰も乗ってこない。このような衆生にはこれ以上話すのさえもったいない。ボクにとってはこの日早起きは「三文の得」どころの話ではなく、宝石を拾った位の出来事であったのだ。

それから数年してロスアンジェルスに住み始めた。ある時、永い間の友人にふとパームスプリングスのハミング・バードの話をしたら、はい?という感じで「ウチの庭にもよく来てるよ」と言った。さらに、ハミング・バード用のフィーダーを吊るすとすぐに現れるよと付け加えてくれた。このロスアンジェルスにもハミング・バードはいたのだ。早速近くのマートそれを求めた。中央が透明の筒があり、そこにシロップを溶かした水を入れる。底面の周囲に四つほどの穴が開いているので、そこから甘い水が染み出てくる。その穴それぞれに疑似花“”がデザインされている。それがハミング・バードにとっては花だ、花の蜜だ、というサインになっている。シロップもセットになっていて、なんの手間も要らない。
家の裏口を出るとパーゴラが組まれているので、そこからぶら下げた。ほんの30分ほどでその宝石はやってきた。どのようにしてこの在りかを見つけるのかしらん?1秒間に50回〜80回ほども羽ばたきをするというが、ホバーリングしている。微かな羽音が聞こえる。ハミングとか鼻歌には絶対聞こえないが……。

この鳥は人に愛されている。人々はそうは高くはないとしてもいくばくのカネを払い、このハミング・バード用のえさ台を買い求め、自宅の庭に設置する人が多いことで分る。だが、きれいな声で鳴くわけでもないし、姿かたちが美しいわけでもない。(夥しい種類のなかには、それこそ宝石のように美しい羽毛を持っているのもいるが・・・)……多分、<小さい、幼い>ということに対する愛惜なのだろうか。それと……「ハミング・バード」というネーミングが大きいと思う。こんな名の鳥が訪れる庭というのは、いかにも幸せに満ちている庭ではないか。不幸な人は鼻歌まじりにはならない。

「ナスカの地上図」の一つのモチーフにもなっているではないか。あれを描いたのが現生人類なのかどうかは不明だが、とにかく年季の入った愛され方だ。


そういえば、南アンデスに伝わる民話もちょっと前から有名だ。

森が燃えていました
森の生き物たちは われさきにと 逃げて いきました
でもクリキンディという名のハチドリだけは 行ったり来たり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちはそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」と笑います
クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」

(完)