シャケの皮を着た男たち

ツングースという大民族がいる。もともとは中央アジアで遊牧していたものが黒竜江アムール川(現中ソの国境あたり)に移ってきて、そこからいろいろ転移したり、混血したりして、ときには靺鞨(まっかつ)ときに女真などなどとさまざまに称されていたが、その膨張が止んでしまった今は中国東北部でロシアとの国境を接する「満州」に封ぜられておとなしくしている。

彼らの赤い血が騒いだ躍動期は北東アジアへ勇躍展開した。中国で渤海という国を作り、さらに英雄ヌルハチを得て、中華で3つの王朝(金、後金、清)を作った。南下しては朝鮮半島高句麗百済新羅を作り、樺太から蝦夷にベース(門番=オトリ=現・小樽)を作り、日本海沿いにさらに南下して越(こし)の国を作った。(現在の越後、越中、越前がそれ。山崩れを起こした山古志村の「古志」もこれ……)さらに南に動き出雲に至る。出雲は良質の砂鉄を産したゆえである。(つまり、農耕具、武器などの鉄器の生産地だったわけだ。)
我々日本人の血には勿論彼らの血が濃く流れている。それどころか、伝説の天孫族出雲族はともに日本に渡ってきたツングースだというからただならない。

北海道育ちなので、われわれの民族にはちょっと異なるアイヌ民族を包含しているということは理解していた。それが高校の頃にラジオで「日本にはツングース民族も渡って来ている」と聞いて、<おや?+ほう!>と思った。
後年、韓国のソウルから車で郊外にでた風景のなかに大社造りの建物がいくつも目にした。訊くと、“穀物倉庫”だという。ツングースがこの国にも席巻していた時代があったので、彼らがこれをもたらしたらしい。日本では出雲の大社として神々しくあるルーツが韓国の田舎の納屋だぜ?!

そんな海外に雄飛した同胞を横目に、アムール川近辺から動かずに漁労を主として生計を営んできた人たちもいた。ホジュン族という。サケ・マスを食するだけではなく、それらの魚の皮をなめして服にしていた。(今では祭礼のものになっているらしい。)中華の漢民族も“変なのッ!”と思ったに違いなく、彼らのことを魚皮韃子(ユイピーターズ)と蔑称していた。このことを司馬遼さんの本で読んで相当におもしろがってしまった。サーモンスキンサラダってボクの好物なんだけど、これを服にする人がいるのか?!

(じゃ、彼らのジャケットは“シャケット”っていうのかな?)

さらに、ホジュン族の倉庫がこれまた「正倉院造り」だというではないか!日本の宝物(日本固有のものなんかほとんどないだろうが……)を納めている保管庫までがツングースの文化の継承なんだよ、お立ち会い!

まあとにもかくにも、日本人っていうのはいろんな民族の血が混じりに混じった“多種民族国家”ということが、調べれば調べるほど解る。万世一系なんてことは全くない。




話はまったく飛ぶ。
いろんな日本の企業は「社員手帳」なるものを作りたがる。やれ、“社規社則”“社員心得”や“企業スローガン”とかに加え、社員が必要とする基本的データが掲載されているダイアリーである。経営者というのは社員に“われらファミリー”と愛の押し売りをしたがるものだし、アリバイとすればいわゆるCIの一環であるとも強調できる。じゃによって、立派な皮表紙のものにデザインされる。通常は羊か豚なんだろう……。
だが、悲しいかな社員は“親の心子知らず”で「社員手帳」はそれほど人気も関心もない。貰ったはいいが引き出しの中に死蔵されてしまう確立が高い。
相当に前の話なるが、TBSのある社員がこの余っている「手帳」を掻き集めて……そう、50人分は下らないと思う……、ジャケットに仕立てたという話は、不思議な感動を呼んだ。年毎に手帳の色が違うので、その翌年も色違いのものを仕立てという。

実際のところどうなんだろう?手帳の表紙を剥がして、その端切れを一枚の革にしてジャケットにするというのは、通常の皮のジャケットを買うよりも高くつくのではないか?
すぐにツングースホジュン族を想った。この御仁には魚皮韃子(ユイピーターズ)の血が脈々と流れている睨む。コストではなく、アイデアにその血が夢中になったのではないか?

都市伝説:「手帳ジャケットの男」。


(完)