感謝祭

「感謝祭」は11月の第四木曜日になっているので、今年は11月の28日であった。もう過ぎて10日程も経つ。
なんでもダボハゼのように食らいつく日本人もこのサンクスギビングにはさすがに縁遠い。
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ボストン近郊のプリマスに来ている。ピリグリム・ファーザーズ(清教徒)たちが“ミルクと蜜”のような夢を積み込んだ「メイフラワー号」で新大陸を目指して辿り着いたところがここだ。アメリカの「聖地」の一つ。
11月だというように凍るように寒く時折雪がちらつく。彼らが第一歩を記した岩がパルテノンのような建物でメモリアムされている。そりゃそうだ、ここから今のアメリカ合衆国が始まったようなものだから。



 
その公園の中央に銅像がぐいっと虚空を睨み仁王立ちしている。「マサソイト像」だという。

この清教徒たちがよれよれになってここに漂着したときにはもっと寒い12月だったという。
見るに見かねた酋長「マサソイト」が来春の為に貯蔵していたタネトウモロコシとかタネイモとか七面鳥を彼らに提供してやり、家や土地……「プランテーション」までも与えた。

……この故事が「感謝祭(サンクス・ギヴィング・ディ)」の起こりなんだ。もともとはインディアンに感謝するのがその精神である。
しかし、そのイギリスからの“食いつめ者たち”の子孫は見る間に繁殖し傲慢になりインディアンたちのさまざまなものを貪るようになり、「マサソイト」の息子は遂に立ち上がり白人どもとの戦いに打ってでた。よく戦ったが敗れた。
もし、「マサソイト」が清教徒たちを厳寒の冬に放置してたり皆殺しにしていたなら、アメリカの歴史はまったく違ったものになったと思う。

アメリカの東はイギリス風な地名が多く、南とか西はスペイン風が多いのは歴史的に植民地であったことによる。ただ、この広大な大陸の内部の方までは彼ら白人が浸食できなかったせいなのか、アメリカン・インディアンからの地名が多い。州名でも、アイオワ(美しい土地)、アラバマ(茂みを開く人)、アリゾナ(小さな泉)オクラホマ(赤い人)、オハイオ(巨いなる湖)、テキサス(友人)などなど……。 インディアンの酋長の名前がそのまま地名になっているところも結構あるが、この「マサソイト」から名付けられたのが「マサチューセッツ州」とシアトル酋長からの「シアトル市」が」が有名だ。

プリマスへの訪問から15年後くらいになろうか、ニューメキシコ州サンタフェからさらに高地に上ってコロラド州境に近いタオスのプエブロ(インディアン部落)にいた。

そこのホピ族のインディアンと話したときに、その部落に毎年決まって感謝祭に山のような荷物を抱えてやってきて村中の人々全員にプレゼントをして何日かは泊まって帰って行く日本人(多分日系人)がいると聞いた。ボストンで医者をやっている人物だという。プリマスの人かも知れないじゃないか……。

いずれにしろ、その彼はインディアンからの愛とか好意を忘れずにおこうという「インディアンへの感謝祭」を律儀に守り通している。



当事者のインディアン達にとっての「感謝祭」は、この日を境に先祖達の知識や土地がヨーロッパからの移民達に奪われた「大量虐殺の始まりの日」としている。とりわけマサソイトが率いたワンパグノアグ族を中心とする「ニューイングランドアメリカンインディアン連合」はこの日を「全米哀悼の日」として毎年デモ行進を続けている。

アメリカン・インディアンの友人がいるアンジェリーナ・ジョリーは「感謝祭」に対して拒否反応を示しているらしい。(母親にアメリカン・インディアン「イロコイ族」の血が混ざっていることが大きいと思うが……)

そして歴史の教科書をアメリカン・インディアンにも配慮したものに書き直すように求めている。今の物は「ピリグリム・ファーザー」イェーイ!一色なんだから。しかし、伴侶のブラピーは「ターキー食いたいなァ」って横で呟いているらしい。


そんなことがあったとしても、いいなこの習わしって思ったこと。この「感謝祭」から「クリスマス」までが、アメリカ人たち全員が浮き足立ってしまう一ヶ月。まあ、長めの正月って思えばいい。広いアメリカを散り散りになった家族がなんだかんだと集まる期間。
で、家族から離れて独りぼっちでいる人に声を掛けて、「ターキーうまく出来たから食べにこない?」って赤の他人にまで声を掛けるんだね。事実私も何度か誘われて一緒した。
ここんところだけ……アメリカン・インディアンの“見知らぬ人にまで温かくもてなす”精神……が息づいているんだね。

アメリカは「メルティング・ポット」(人種の坩堝)なんかではなく、かき混ぜられた「サラダ・ボウル」に過ぎないという言い方がある。そのかき混ぜられた底には傷ついた者達が沢山いる。そうだとしても、それらさまざまな民族のエキスとかテイストとかエトスとかが混じり合って行くものなんだね。
アンジー自身がスロバキア、ドイツ、フランス、アメリカン・インディアンの「サラダ・ボウル」なんだもの……。

(完)