下戸遺伝子

 いまではすっかり人口に膾炙してしまっているが、アルコールを摂取すると体内でアセトアルデヒドというものになる。これが毒性を持つ。しかしよくしたもので、「アルコール脱水素酵素」というものが、この毒をただの酢酸にしてしまう。しかし、不幸なことに(もしくは、幸福なことに……)私にはこの「酵素」がない。だからそのアセトアルデヒドでヨレヨレになってしまう。このような“欠損型”を「下戸遺伝子」(酵素欠損型遺伝子)と表現する。

 こんな下世話でいい加減っぽい名前ながらも、アカデミックに研究している人たちはいる。この「下戸遺伝子」は白人種、黒人種には発見できない。黄色人種モンゴロイド)にのみ発見することができ、それも旧モンゴロイド(南方系)の“縄文人”ではそれほどではなく、日本に米とか鉄器をもたらしたといわれている渡来人の新モンゴロイド(北方系)の“弥生人”のなかで突然変異的にこれを欠落したものが生まれたとされている。(北方系モンゴロイドのなかで先天的に酒が飲めないのが5%、弱いのが35%くらいらしい。)
 
 LAのホテルのレストラン。アメリカ人とちょいとした打ち合わせが終わり、続きのバーへ場所を移して“お疲れさん”の一杯。こちらはバカの一つ覚えの「カンパリソーダ」。その日のカンパリの匙加減がちょっと多めだったらしい。顔が一気にあかくなったのが自分でも解る。そいつがボクの顔をしげしげと見て、

 「おお、これが噂の“オリエンタル・フラッシング・シンドローム”かぁ」
 「えっ!?何?」
 「いやなに、oriental flushing syndrome……東洋人の“顔面紅潮”症候群っていう。それにしても見事なものだなァ」

 と感心してまだまじまじだ。「東洋の顔面紅潮」っていわれてもねェ。なんだか、交通信号が壊れて赤になりっぱなしのような気分で凹む。

 それにしてもだ、学者によればアルコール(エタノール)というのは空気の薄いところで微生物(酵素酵母)の働きで生成される。自然界には果物、穀類のような果糖、ブドウ糖を含んだモノが多く、酵母菌もウジョウジョしていたし、現在もそうだ。つまり、人類が生まれる前から、地球上のどこにでもメチルアルコールはあった。食料を得ようとすれば、すぐ傍にアルコールがあるという状況でありつづけてきた。だから、人類にとって体内で変化して毒素になるものを無害なものに変換してくれる「脱水素酵素」を取り込むことが進化に是非とも必要なはずだったと推測できる。大型草食恐竜はアルコール中毒で絶滅したかも知れないと主張する学者もいるくらいなのだから……。


人類には危険を顧みず、面白そうなこと楽しそうなことを常に選択するヤツがいて、結局その層に引きずられるように進化して来た。
こういう“オッチョコチョイ”こそ貴重なのだ。

その“オッチョコチョイ”にある程度以上の確度でしてしまうのがアルコール。僧侶の隠語では「般若湯」といい、民俗では「キチガイ水」と言うがごとしである。

「人類の文明が開化するのに、アルコールが大きな役割を果たしていた」という仮説は随分前に聞いた。
そして2〜3年前の「ニューヨーク・タイムス」の記事がこれを力強く後押しする。
曰く。
「人類が誕生ばかりの頃、我々の祖先は社会本能に守られ群れをなして生き延びた。だが人間社会の序列や役割分担を守るといった社会規範は、文明を築くための探究心や芸術的表現、空想力、発明力、実験に蓋をしていた。この蓋を外すことになったのが、発酵した果物や穀物との出会いであったのだという。
アルコールは、引っ込み思案な人が自由に喋られるようになったというだけではなく、それまで堅く硬直していた社会構造に柔軟性をもたらし、同時に、連携力且つ創造力が増し、発想が豊かになった」

“酔っぱらい”が文明を作ったらしいぜ。下戸遺伝子保持者からすれば随分と都合よく話を纏めてないか?とは思うが、腑に落ちるところもある。

まあ、“酔っぱらい”と“オッチョコチョイ”が作った文明だからこんな程度なのかもしれない。
(完)