パックス・ジャポニカ

§コンビニのカウンターの行列ってとってもアナーキー§

■1976年。ワシントンDCとポトマック河を挟んで隣接するバージニア州。無名戦死者とかケネディ大統領が眠るアーリントン墓地からちょっと離れたところに国防総省ペンタゴンがある。さらにそこから車でほんの3分ばかりのところにあるアパートで暮らしていた。(9・11のカミカゼで焼けただれたところは、毎朝大学に行くバスが途中で必ず停まるところであった……)

そのアパートにはペンタゴンに勤務する制服組も多く、そのひとりの息子であるジェフリーは利発で愛くるしく、娘の親友でもあった。
その彼に駐車場で会った。ママとお出かけらしい。

「どこに行くの?」
「うん、Seven-Elevenへ」
「エッ?飛行機?」
「ううん、storeだよ」
「妙な名前だねぇ」
「うん、ボクもそう思う。このお店はね、朝7時から夜11時まで開いているので、こういう名前にしたんだってさ」

小学校1年生がワケシリ顔に解説してくれた。コンビニエンス・ストアとの最初の遭遇。

しかし、後で調べてみて自分が世間知らずであったことを恥じた。セブンイレブン・ジャパンの前身がもう1974年には江東区豊洲に1号店を出店していたし、なんにしても1976年当時では既に全国で100店舗を展開していたというではないか……。
彼らが日本でのマーケティングを考える際には、日本的アレンジ―アメリカのような大型店舗じゃなく極めて小型、7時−11時ではなく24時間営業、日本ローカルの商品開発など―を加えて、日本人の生活シーンにスルスルと入り込んで来た。後続者たちが群雄割拠するなかでも、セブンイレブンは“コンビニ”の記号的存在であり続けた。そしてなんと、1991年には不振に喘いでいた本家のSouthland Corporationをセブンイレブン・ジャパンが呑み込んでしまった。尻尾が胴体を振り回して、ついに頭を食べてしまったのだ。

“天国”が(「Heaven Seven-eleven」)が“いい気分”(「セブンイレブン いい気分」)の膝下に跪いた。

■それにつけても、常々思うのだが、コンビニのカウンターの行列ってとってもアナーキーだ。……塾帰りの小学生、勤め帰りのOL、部活を終えたニキビ面の高校生、水商売の女、年金暮らしのじいさん、ニッカボッカ工務店、身なりの華美な若奥風、フリータ-風のおねえさん、きちんとした背広姿のリーマン、金色アクセサリーじゃらじゃらのヤーさん風、iPodを耳にした大学生、茶髪ジャージーの元ヤンキー妻……。つまり、あらゆる階層が妙に行儀よく静かに並んでいる。

アナキズムというと聞こえが悪ければ、民主主義と言ってもいい。日本のデモクラシーのビジュアル表現とは何だ?と問われれば、この風景を差し出したい。アメリカのSeven-Elevenの客層はもっとセグメントされていて(まあ、中流層)、日本ほどのバラエティには富んではいない。日本は格差問題が顕在化してきたとはいえ、かつての“総中流意識”がまだ尾を引いていると睨む。

市民が永遠に平和が続くと信じ切っていた“パックス・ロマーナ”とか“パックス・ブリタニカ”のひそみに倣えば、今我々は“パックス・ジャポニカ”(“パックス・ジャポーナ”でもいい?ラテン語よく解らん…)の世紀にいるのかも知れない。

■“アラサー”のワーキング・ウーマンのグループ・インタビューに同席したことがある。テーマは「私とコンビニ」。
コンビニから離れてポジションしていた自分にとっては、メウロコであった。これほどまでに彼女たちがコンビニと深い深い抜き差しならない関係になっていたとは!
<●の◆という弁当がいい>とか<○の▲というデザートはイケている>などと極めつけの固有名詞で語ってくれることも、それらが置かれている棚の位置までもがきちんとメモリーされていることも。さらに、それぞれのブランドの差別化まで図っていることもだ。

「ジャージー着てノーメイクで競馬新聞買いにいくのは▼。セブンイレブンというのはちゃんとメイクしてちょっとオシャレしていくところなんだよね〜」

などとおっしゃる。なぜ?と訊くと、

「ひょっとすると、芸能人やタレントに会っちゃうかも知れないから」

…だって。会ってどーするの?とは尋ねなかった。

■コンビニの夜間の照明が煌々とし過ぎている、必要以上に明るすぎるという苦情が時々ある。“日本のしっとりした漆黒の闇をいかがわしい照明で汚すな”ということだろうか。「クリスマスのイルミネーションに群がるオレ達って虫っぽくね?」という呟きがあって笑ったが、コンビニもこの効果を狙っているには違いない。

でも、ちょっと考えてみよう。コンビニは都会にあるだけではない。月夜じゃなけりゃ鼻をつままれても解らん闇に沈む田舎道にもある。このような環境下で、コンビニの灯りが歩行者や運転者にどれほどの利便と勇気を与えていることだろうか……。海原遙かから望見できる灯台の灯りのように……。
アメリカの田舎では車でのパトロール警官が街道筋で必ず立ち寄る“○○kitchen”とか“Joeの店”なんていうのがある。ポリスはそこでやれやれ!とビールを我慢してコーヒーで喉を潤すし、店は店で彼らの来訪を心強く思ってくれている。
日本でもコンビニが「警官立寄所」になっていていいし、その前に、警察はコンビニに地域の防犯などへの貢献で感謝していいと思う。

「パックス・ジャポニカ」の永続のためにも……。

(完)