辛さ

◆香辛料って人類にとってなんなんだろうって時々思う。「辛み」だけを抜き出して考えれば味覚に範疇されるわけではなく、痛覚なんだという。そして、この「辛さ」は子供の頃からのトレーニングにより、“耐性”が決まるものらしい。だから民族により「辛さ」への感度には随分と差がある。


ベイルート生まれのレバノン人をバージニアの自宅で夕食の招待をしたことがあった。パートナーは料理のひとつとして春雨を出した。タレは「和辛子」で作ってある。

「な〜に、これ?日本のスパゲティのようなもの?」
「まあ、そんなもの」
「これをかけるのね?」
「そう」

一口二口食べた彼はむせたまま、手を空中に泳がせて、何かを求めている。

「水か?」
「う…う…」とただこっくりを繰り返すだけ。

ゴクゴクと飲み、ふーと一息を入れる。

「Terribly hot !!!」

家族一同はその周章狼狽ぶりに爆笑している。

彼は喉から胸にかけて撫で回しながら、

「こんなもん日本人はいつも喰っているのか?」
「いつもじゃない。時々だ」


■パートナーが Americanizationという名のフリーの英語学校に行っていた。その同級生の韓国人の主婦と友だちになり、自分の亭主がキムチが大好きだと話したらしい。じゃ、おいしいキムチを食べにおいでと、夕食に招待を受けた。

家族4人でお邪魔したわけだが、家庭料理がところせましと並べられ、中央の大皿には山盛りの自家製のキムチ。その分量にたじろいていると、そこの小学生の男の子が相当の分量を口に運んで平然としている。

(そうなのか、子供がいるので、甘めに漬けてあるんだな……)

じゃ、遠慮なくと口にほおりこむ。もの凄く辛い!ジンジンガシガシとくる辛さ。とにかく水を大所望。
チビはてんやわんやの大騒ぎのこっちをみて、大声で笑っている。



メキシコシティからアメリカのテキサス州はヒューストンに向かっている。フライトはメキシコ航空。機内食をすべて平らげてふと見ると、トレイにぽつねんと小さな青い唐辛子が残ってしまった。

(これは何?どうするの?)

と思って、辺りを見渡すと、斜め前のメキシカンとおぼしき男がそれをポリポリと噛んでいる。旅はいつも“ミヨウミマネ”。「郷に入らば、郷に従え」だ。

われも口に入れポリポリ。二、三度顎を上下させたまではよかったのだが、口のなかが大火災!アテンダントのおねーさんに水を何杯も貰って流そうにも一向に火事は鎮まらない。
ヒューストンに着くまでの2時間ほどずっ〜と頭の右半分が痺れたままだった。
その青唐辛子はメキシコでは極めて普通に食されている「ハラペーニョ」だったと思う。


■かつての宗主国であったイギリスにはインド人がうじゃうじゃ居て、“チャイナ・タウン”の向こうを張って“リトル・インディア”があるくらい。そこのインド料理屋。

ロケでは“洋食”が続いていたので、プロデューサー氏は久し振りの“カレーライス”に涎を垂らしそうに期待感炸裂。

インド人のウエイターが辛さの度合いを訊いている。彼は……

「the hotest one !」

と勇ましい。

「酷く辛いよ。いいの?」
「なに言ってんだか。カレーは辛れッ〜じゃなくちゃ」

ウエイターがキザな身のこなしでトレイにカレールーとライスを乗せてやって来る。
ライスの上にしゃばしゃばのルーを掛け、さらに煮込んでくたくたになった唐辛子をひとつかみパラパラと振りかけた。そしてなぜか、われわれの顔を見て、ニヤリ!

当の彼。ルーとライスをよく混ぜて口に運んだなと思った瞬間すぐ、エビのように背を丸め、アワワと口を押さえ手元のお冷やを一気にあおって、ボクの水まで奪い立て続けに飲み干した。
それ以降は、断固拒否のかたくなな姿勢。「ほら、どーした。男の子だろ〜が」などのこちらからの執拗なアジテートにもいっかな乗ろうとしなかった。あたかも、簡単にノックダウンされたボクサーがしょんぼりうなだれてリングを下りる風情であった。



◆われわれ日本人にとっては、コショウなどの香辛料というものはちょっとしたアクセントに使うという感覚なんだが、かつてのヨーロッパの人にとってみれば、常食である肉の腐敗を防ぐ防腐剤の役割を担っていた。それらの香辛料のほとんどがインドからの輸入にたよっていた。ところが、インド貿易のルートであった地中海とか小アジアオスマントルコの勃興により通せんぼされしまった。そのため、コショウ一粒が金一粒くらいに暴騰した。ポルトガルバスコダガマによる喜望峰回りで、トルコを避ける新ルート開発した。指を咥えてはいられないとして、スペインはジェノヴァコロンブスに賭けた。大西洋を西へ真っ直ぐ行けばインドに着くはず・・・・・・。もちろん、大きな目的の一つはコショウだ。今の西インド諸島に着きインド人(・・・じゃなかったのだが…アメリカン・インディアン)に尋ねるが、一向にコショウ(pepper)は見つからず、その代わりにトウガラシ(red pepper)を発見し、ヨーロッパに持ち帰った。この“赤いコショウ”は後にインド、タイ、中国、韓国などで愛されてきた。

ラーメンにコショウを振りかけながら、このコショウがきっかけになり「新大陸の発見」や「大航海時代」を招いたのかと想うと、ちょっと不思議な気持ちになる。
それにしても、コロンブスが自分が到達したところをずっとインドと信じて死んでいったのは切ない。

(完)