柿とカラス



庭のハゼの葉が朱に染まり、センリョウやマンリョウの実がいよいよ赤く熟し、雑草のように捨て置かれてぼうぼうの菊も今は咲き誇り、サザンカがちらりほらりと咲き始め、街路樹がたそがれ迫るオジさんの頭のようにまばらになってきた。いよいよもって秋も深まり、すぐにも冬将軍の率いる大軍が押し寄せてくる気配なのである。
それなのに、裏の柿の木の葉がなかなか落ちない。この柿の実は日本で一番上質な甘さだと思っている。つまり、これ以上のおいしい柿を人生で今までに食べたことがないからと、かたくなにそう信じている。

このあたりは、柿に因んだ地名が多く、昔はどの家にも一本は柿の木が植えられていたらしい。その多くは「禅寺丸」という品種だ。つまり地名にもなっている「王禅寺」という禅寺の庭の柿の木を原木として、ここ一帯に広まったようだ。なにかのついでに、見に行ったことがある。原木のそばに碑まで建っていて、そこには次のような歌が彫り込まれていた。

柿生ふる柿生の里 
名のみかは禅寺丸柿
山柿の赤きを見れば 
まつぶさに秋は闌(た)けたり

         北原白秋

(「まつぶさ」とは真貝と書き、ぴったりと整った感じらしい。「闌けたり」とは“秋たけなわ<闌>"などのたけなわの意)

しかし、我が家のそれは「次郎柿」らしい。静岡あたりが原産ということだ。多数派の禅寺丸柿軍団のなかに、なぜ次郎さんが単騎で斬り込んできたのか、今は誰も知る人はいない。

カラスが大勢やってくる。甘く熟した頃合いを狙ってかわりばんこにやってくる。柿の実を逞しいくちばしで穿ち半分ほど食べると、柿の実は堪えきれずに枝から離れて地上に落ちる。その残骸が木の根元に散乱している。カラスは誇り高いのか、一度地面に落ちた柿は食べない。食事のマナーに反しているのだろう。
望んだことではないが、柿の実を巡ってカラスと先着順競争になる。なんだかちょっと、情けない。
空を飛べない当方としては、柿の木の幹を伝って太枝にまたがり“柿もぎ棹"―先端が二股に割れている竹竿―で柿の実に繋がっている小枝を挟んでひねって折る。古式豊かな日本の伝統芸だ。

今日も今シーズン何回目かになる柿もぎをした。高い梢の先のものは、もうちょっと登り棹を伸ばせば取れないこともない。しかし、柿の木の枝は折れやすい。結構太い枝でさえ強風で飛んでしまうほどもろいという。ここは勇気ある撤退である。しかし口惜しいので、家人に「後はカラスに残しておいてやろうね」と負け惜しみを言ってみる。

これは昔の人のマナーでもある。柿の実をことごとく取ってしまうのは、高雅な人のやることではない。丸坊主にしないでカラスなどの鳥のために、そして天のために、幾つかは残しておくのが、奥ゆかしい所作なのだ。
柿の実とカラスの関係は、人類が跋扈してくるよりずっと前からあった。柿の木は甘い実を用意して、カラスに食べて貰い、そのタネもろとも呑み込んだカラスはどこか離れた木の上から糞と一緒に地上に落とす。子孫を持続させるための柿のサバイバル戦略なのである。(植物の種子のなかで、いったん鳥の胃袋を経由しなければ発芽しない仕組みになっているものが相当数ある。)そんな“甘い関係"があったのに、新参者の人類がこれらのサイクルをぶち壊してしまった。

“奇蹟の星"地球の食物連鎖の頂点に上り詰めた人類は、傲慢にもその根幹の大切なサイクルを壊し続けてきた。癒しがたいほどの重傷を長い間与え続けてきて、今度はその傷口を縫い合わせようとしている。
世界中のチンパンジーをはじめとする類人猿のほとんどが、人類の保護なしには絶滅の危機に瀕している。マナティ、イルカなどの海のほ乳類も。トラ、クマ、サイなども。海の食物連鎖の頂点にたつサメでさえこのままでは絶滅してしまうのだという。……理由はたったひとつ。人間の「フカヒレスープ」のためにだ。

鳥類でもすでに絶滅してしまったものも多い。
アメリカ東部五大湖あたりから冬はメキシコやフロリダに旅行…渡りを行い、かつて50億羽もいたというリョコウバト。夢のようにきれいな鳩だ。(下図参照:『滅びゆく動物』昭和55年小学館刊)このハトが旅行するときには、とてつもない個数がグループになるので、空を完全に覆い昼でも夜のように暗くなり、街を通り過ぎるのに3日間を要したという記録もある。
不幸にもこのハトの肉は美味であったらしい。迫害と虐殺がはじまった。瞬く間にアメリカでもっともポピュラーな肉になり、ついにはヨーロッパに輸出するまでになり、果ては、豚のエサや肥料にまでされた。そして、1900年に最後の一羽がシンシナテーの動物園で死んで絶滅した。この間わずかに200年くらい。絶滅は簡単だが、その種を復元するには再びの“天地創造"まで待たなければならない。(……なんだかボクには白人によるアメリカン・インディアンへの殲滅とぴったり重なってしまう。期間もほぼ一致している。)



話しは大いに逸れた。カラスの話である。イヌイット神話の神になっているワタリガラスを除けば、カラスはそれほど人々に愛されていない。

ロスにいた頃。裏庭の上空の電線をリスが往来する。ほぼ同じ時刻に行きそして戻る。すると、それを見透かすように、カラスがやってきて急降下爆撃機のようにリスに襲いかかる。いやいや、何ってこともなく、リスをイジっているんだ。ちょっかい出して遊んでいるんだ。リスの方は楽しいのかどうかは知らないが、カラスは楽しそうにからかっている。これは「好奇心」から発している。そして「好奇心」って確実に「知性」だと思う。

東京都など地方自治体カラスをは目の敵にしている。でも、考えてみて欲しい。いま都会の空をはばたいているのって、このカラス、地味なスズメ(このスズメも原因不明ながら最近は8割減という悲惨なことになっているらしいのだが…)、そしてやはり迷惑の代名詞のようなハトが代表選手である。
彼らが全てこの世から姿を消して、飛行機以外の何も飛ばなくなった空を見上げるのって淋しくはないか?「イソップ物語」とか「舌切り雀」の童話も書き換える必要もでてくるし…。

もともとは彼らのテリトリーであったところに浸奪してきたのは、人間の方なんだ。かれらとの共存を考えるのが、最低の条件のような気がする。
ニホンザルツキノワグマ、ヒグマ、イノシシ、キツネ、タヌキなどとも、彼らの方が先輩なんだから、敬意を表しながら、仲良くやっていく道をみつけるのが人類としてのマナーだしモラルだと思う。 ……これらの動物に悩まされたり、傷つけられた人には申し訳ないが。

このままでは、人類は地球上の極悪非道な癌細胞に過ぎない。
ガイヤ(地球)は地球上の全ての種を保全をすべしというミッションを与えて、人類をここに送り出してきている。間違いなくそうだ……。

(完)