吹雪のなかをコンドルは飛んでいく

〜前回では“マイ・クリスマス・ソング”として“Amazing Grace”と “so This is Christmas”を採りあげた。今回はその3曲目。〜

心に残るクリスマスがある。76年。ワシントンDC。その頃ベネズエラ人でオランドという友人がいた。陽気で騒がしいのがウリのラテンなのに、とても物静かでいい奴だった。そのオランドの友人でカーンという名のコロンビア人の二人から、カーンのアパートでのクリスマス・パーティに誘われた。招待を受けたのはわれわれ夫婦とやはり日本の企業から派遣されて、この大学で同じくMBAのコースを頑張っている日本人夫婦であった。みんな同じ大学の学生ということではあったが、彼らは若く独身であった。

カーンというドイツらしい姓の連想を裏切らずに、ファースト・ネームもデニスであった。訊けば、やはり民族的にはドイツ人だった。どうも祖父はナチスで、コロンビアに亡命したようだ。「アイヒマン事件」もあるし、聞いてみたいことは、三ヶ月も獲物を食べていない北極熊の食欲のようであったが、辛うじて奥歯をギリリと噛んで堪えた。
彼は目を剥くほどの語学の天才であった。アメリカに来てからまだ三ヶ月というのに、ネイティブとしか思えない。滑らかで、達者なもんだ。英語の他は母国語のスペイン語は勿論のこと、ドイツ語、フランス語、そしてイタリア語も多少しゃべるという。
コツを聞いてみた。音楽が好きなので、レコードの英語の歌詞をメロディと一緒に脳みそにすり込んでしまうのだ、と言っていた。女性を口説くときに、その文句がそのままに使えるのもいいし……とつけ加えて、ウインクした。 〝そんなことオレだってやってらい“

「不幸な歴史を持つ国の国民ほど外国語を巧みにしゃべる」
と言う。
オランダはアムステルダムのこと。タクシーを拾った。乗り込むと、そのドライバー振り向きざま、
「何語でしゃべったらいい?」
と、なぜか英語で聞いてきた。
「何語がしゃべられるの?」
オランダ語、英語、ドイツ語、ベルギー語、フランス語など」
 タクシー・ドライバーがこれだけの言葉を操る。列強に挟まれたオランダの歴史には近隣の国に占領され、危うく国を失うような困難な時期が度々あった。そのことが、このような国民を作ってしまうのだ。
デニスの場合は…。同じことだ。国(デニスにとってコロンビアが“国”なのかどうかも覚束ない)が自分を守ってくれる保障がなければ、自分自身を“武装化”するしかない。言語は彼の武器なのだ。

メインデッシュは四時間ほども前からオーブンでワインをひたひたにしてコトコトと煮つめていく鶏肉。それだけの極めてシンプルなクリスマス・ディナー。
まずサラダから始まる。いよいよメインで骨付きの鶏肉。ホロリと骨から鶏肉だけがとれる。ワインのみでの料理って、ちょっとしたカルチャーショックだった。でもすばらしくおいしい。そしてワイン。若い男だけの料理としては、五つ星ランク。グッドジョブ!
食後には紅茶。一口飲むが、ストレートだ。その頃のボクの流儀としては、砂糖を入れて紅茶を飲んでいた。

「砂糖ある?」
「何に使うの?」
「紅茶に入れようと思うのだが」
「日本では紅茶に砂糖なんて入れるのか?!」
「Some do,some don't. 入れない人もいるが……」

とにかく、角砂糖が運ばれてくる。紅茶に入れて…かき混ぜて・・・飲む。ボクの一挙一投足を珍しくてジッと見詰める彼らの視線がうるさくてジャマくさい。

とあれ、いくつか知っているラテン・ナンバー『ベサメムーチョ』とか『キエンセラ』などのナンバーを〝共通言語“として互いに歌い合って、宴もたけなわ。

窓の外はいったん止んでいた雪がまた降り始めていた。

「われわれ南アメリカ人の…」
とデニスが切り出した。彼らは時にこの言い方をする。要するに、ブラジルを除けば、ベネズエラ人もコロンビア人もスペイン語をしゃべっているので、日本で言えば、鹿児島と青森の言葉ほども違わないのだと思う。

「われわれ南米人の魂の歌を聴いてくれるか」
と、デニスが奥から一枚のレコードを取り出してきた。ウニャ・ラモスの『コンドルは飛んでいく』であった。サイモン&ガーファンクルが取り上げたことにより、世界的に有名になったペルーの歌である。ペルーに伝わる民話にもとづいて作曲されたということだ。


底抜けに明るいかと思えば哀しく淋しく、時には高まり時には沈む。澄み切ったアンデスの青空を高く舞うコンドル――地球上で一番高みを飛ぶというこの鳥を、見事に描写するケーナの調べ。

窓の外はさらに激しく、遂には吹雪となっている。
部屋のなかはケーナの乾いてキラキラ輝く哀切。
外の白い吹雪のなかを飛ぶコンドル。


あれからずっと、コンドルは飛んでいる。
日本に帰ってから暫くの間、クリスマスには、必ずこの『エル・コンドル・パサ』を聴いていた。


(完)