Christmas in Santa Fe

ロスアンジェルスに住んでいたある年の12月の半ば。

サンタフェに行かない?この世で一番クリスマスらしいクリスマス味わってみたくない?」

と友人の女性が電話をしてきた。

「……どういう意味?」という問いに、
「行けば分かる……」

と、いつも説明が少なく意表を衝く人だ。

しかし、一緒に行こうと誘った当の本人が、直前になって仕事が入り、行かれなくなった。何のことはない、我が家族…妻と娘…のみで飛行機に乗り込んだ。聖地での聖夜のために……。

LAから2時間のフライト、ニューメキシコ州のアーバカーキーへ。そこからさらに車で高地に向かって2時間走る。ドライブの風景としては、変化とスリルに富み、絶景。深い谷間を抜けたと思うと、突如地平線が遠くでかすんでいるような台地に飛び出る。日本のどこにもない巨大な自然のなかをケシ粒のような我々が行く。
そんな私の感動とはまったく関係なしに、妻は“高山病”でひたすら助手席で寝ている。娘は学期末試験勉強の徹夜明けでこれも正体もなくリアシートで熟睡。感動の共犯者なしの孤独なドライブ。ひとりで感嘆し、ひとりで大きく頷く。

降り立ったアーバカーキーがすでに高度3000メートルくらいなので、もっと高地のサンタフェに着く頃には、さすがに頭痛を覚えるほど空気は薄くなる。その分青空が美しく澄み、日の光が宝石のようにきらめいている。

これこそが、アーチストにとってリッチな環境であるらしい。いつの間にか画家、芸術家、造形家、建築家、クラフトマン達を集めてしまった。


サンタフェ・スタイルの典型

ほんの小さな町なのに、町中の半分以上の店がアート・ギャラリーという不思議さ。聞けば、絵画の取引で人口が5万人ちょっとのこのサンタフェが全米でニューヨーク、ロサンゼルスに次いで3位という事である。

最初にこの地に入った西洋人は、スペインの宣教師であった。その後この地を統括したスペイン総督が「アッシジのフランチェスコの聖なる信仰に忠実な王都」というなんとも長ったらしい名前を付けた。それをエキスの「聖なる信仰」だけになって現在に至る。

もともとスペインの植民地としてのメキシコの領土であったことは、州の名がニューメキシコである事が物語っている。その後、メキシコからさらに合衆国に編みかえられた。そんな勝手な白人たちの領土争いは、先住民族アメリカインディアンをまったく無視して繰り広げられたのだ。ここは依然として、彼らの大地である。サンタフェの周囲は、アメリカインディアンのプエブロ(集落とか家の意…狭義には集合住宅)が多くある。そのため、アリゾナニューメキシコ一帯に住んでいたネイティブ・アメリカンを総称して“プエブロ・インディアン”ともいう。


プエブロ(集合住宅)

このサンタフェの地で、スパニッシュ・コロニアルのウェストとプエブロ・インディアンのイースト(?)がぶつかり合い、交じり合い、さらに東海岸を経由してビクトリア朝時代のアングロサクソン文化までもが混入したカオス的ミックスアップが行われた。それが、絵画のみならず、住居、家具、インテリアなどにおいて独特の「サンタフェ・スタイル」を創りあげた。このあたりもアーチストにとっては好ましい刺激とか創発に富む“聖地”であるらしい。
創発といえば、『複雑系』を発表した「サンタフェ研究所」がここにあるのも、何かしら、この地の“聖地性”と関連があると思う。

屋根・軒にもファロリートス


町なかはすでにライトアップされているが、このライトというのが、小さな紙のショッピング・バッグ(のようなもの)の底に砂を敷き、そこにローソクを立てた素朴なもの。燭台といえばいいのか、行灯といえばいいのか…。現地では“ファロリートス”とか“ルミナリア”とか言うらしい。メキシコから入ってきてここらあたりに定着した風習とのこと。この茶色の再生紙を通してほのかにボワ〜とゆらめくあかりが、いかにも心やさしい。
この“行灯”をすべての道端に、すべての家の軒という軒(プエブロ式なので、水平部分が多い)に、…置けるところにはどこにでも、点々とおかれている。それはそれは、夢のように美しい。
ライトアップとかイルミネーションの「どうだ!」という感じではなく、暗い闇と折り合いをつけながら、自らが蛍のように発光をして、息づいている「灯り」が魅惑的である。

キャニオン・ロードのギャラリー

「キャニオン・ロード」という有名な通りがある。2キロほどの狭い通りだが、ここにはアート関連の店のみだけが、軒を連ねている。クリスマス・イブには、その“行灯”が、まるで規則正しく植えつけられたチューリップのようにキャニオン・ロードの道の両側に点々かつ延々と置かれている。 これを“ファロリートス・ウオーク”という。

ここを大勢の善男善女が白い息を吐き吐き、クリスマス・キャロルを歌ってゾロゾロと歩いている。町の辻々に焚き火が設けられていて、人々はときどき暖を取り、再び態勢を取り直し、またその寒いゾロゾロに白い息を吐きながら加わる。ほのかなあかりと木の燃えるにおい、時折の木のはぜる音、そしてギュッと身が引き締まるような寒気以外はなにもない。ちょっと離れた町の大聖堂ではミサが行われている。賛美歌のオルガンが時には遠くになったり、時には近くになったり聞こえてくる…。

2000年前にもあったであろう自然で素朴なものたちが、一層、人々を敬虔にさせ、厳粛にさせ、癒す。

大聖堂


(完)