20万年の記憶
ここのところ、急に寒くなった。
寒くなっていいことなんかほとんどない。ただひとつだけのいいことは、ストーブが焚けることかも知れない。
我が家の薪ストーブに2,3日前から火が入りはじめた。
前面のガラス越しに紅蓮と橙色の炎がめらめらと見える。この千変万化する炎を見ているのが好きだ。
なぜかよく解らないが、とりわけ男が炎を好む。落ち葉焚きが好きなのも、例外なく男だ。
一年中ずっと夏という感じのロスアンジェルスにも、ある程度以上の家には暖炉がある。一応冬と名のつく季節には夜が多少は寒い。ボクの友人はそれを待ちかねたように、ドラッグストアから薪の束を仕入れてきて、燃やす。暖炉の前にどっかと座り込み火の燃えるのをぼうーっと飽きずに見入っている。
「何にもしないでただ呆けたように火をみている。バカじゃないの?」
と彼のカミさんは怒る。でも、ボクには彼の気持ちが痒いほどに解る。同じ男だから。
北京原人とかアフリカの猿人が、まだ洞窟で暮らしていた頃の焚き火の跡が見つかっている。その最初の目的は、炊事のためだったのか? 暖房のためだったのか?…どうも、両方とも違うらしい。
「彼らは火に心引かれて、ペットを持ち込むように、洞窟でそれを飼いならし、育てていたんだよ」
ってライアル・ワトソンが推論している。つまり、“楽しみ”のために。
人類というのは、「やってみたいから」「魅力的だから」という理由だけで、次なる行動を決定し、自らの生活様式を変えてきた唯一の「種」だという。その最初の「冒険」が「火を飼う」ことであったと続けている。
ボクがストーブの前で飽かずに炎を見つめていることと、北京原人が火に魅せられて見とれていることとは、根本的には何にも変わらない。
いざ家を建てようという時に、家にはストーブがなきゃだめだ。ストーブがない家というのは、ご神体のない神社のようにあり得ないものだ。そんな強烈な想いが、どうしょうもなく湧いてきた。人にはそれぞれ“埋め込まれた記憶”があると思う。この「ストーブ」もそうだったのだと思う。大きくなってからはすっかり忘れていたのだが、小さい頃はずっとストーブと暮らしていたんだ……って。
「北海道ではみんなそうだ。団欒というのはストーブがなきゃならない」
と祝詞のように唱えるボクを、家族たちはまるで異邦人を見るような目でみていた。関東平野で育った彼らにとって、ストーブなんてものは遠い存在。“本火”を扱ったこともないし、とにかく危ないと怯えて怖がる。
「ここは北海道でも、高原の宿ではないのよ」
それらの全ての反対を強引に押し切り、ストーブは居間の中央に重々しく存在している。 薪を収納する薪小屋も自分で建てた。
それなのにである。
5年ほど前に北海道の友人宅を訪れたとき、10月中旬なのに夜は十分に寒い。
吐き出し口から確かに温風は出てきている。
(しかし、ストーブがない!)
「ストーブは何処だ!赤々と火が燃えているストーブは何処だ!」
「そんなもん、相当前にないよ〜」
裏庭に案内される。巨大な石油タンクが鎮座している。そこから供給された石油がボイラーに導かれて……セントラル・ヒーティングだと。
「ぐふ……オレの立場はどうなる?」
「なんの立場だ?」
気狂いのようにストーブと連呼していたときには、北海道のストーブはとっくに絶滅していたのだ!甘い追憶とかセンチメンタリズムはいつも裏切られる。
以前ケベック(アメリカ合衆国と国境を接している最東部の州)に旅をした。ここは昔はフランスの植民地。
カナダになってからも、ケベックとして独立しようという意識がいつも底を流れている。それは彼らの言語による。カナダの公用語は英語だが、ここではいまでも頑なにフランス語である。
モントリオールから真東にケベックに向かう。東に向かうにつれて
道路標識が英語と仏語の併記になり、ケベックに近くなると、完全に仏語のみ。ガソリン・スタンドで「満タンにして」が通じずに、
小学生くらいの女の子が出てきて、 May I help you? 子供は
“標準語”がしゃべれる。親父は後ろで不機嫌にムスッと立っている。
フランス語が彼ら住民の精神的な礎とか絆なのだ。「民族のアイデンティティを煮詰めに煮詰めたにこごりは言葉だ」と言ったのは司馬遼太郎さんだが、正しくケベックのにこごりは仏語。
フランス人のツーリストとその事を話した。
「う〜ん。でもね、彼らのフランス語は我々にはよくわかんないのヨ。古いし、変な方言も混じっているし。マア、フランス語に似た何かだネ」
って。
(そりゃ、あんまりだろっ!)
北海道でケベックの民の無念と痛恨をしみじみと想った。
いいんだよ。時代遅れでも、裏切りに遭っても。
この炎という天然のアートはあまりに蠱惑(こあく)的過ぎる。
DNAに埋め込まれている20万年前の記憶に惑わされている。
(完)