パロディ

「パロディ」というものがある。これについて語ると本が一冊になる。カンタンに言えば、よく知られた文章をもとのカタチに似せてユーモラスに作りかえたものと言っていい。じゃ、駄洒落って?と言われると困る。とても距離が近い感じがする。パロディは原文を諷刺したり嘲笑する“格調”が必要な気がする。一方、駄洒落の方が“言葉遊び”の匂いが濃厚な気がするが……。

私は駄洒落がうまくない。これを嘆いたら、高IQの年下の友人が、「駄洒落の得意な人って、そもそもの言葉の意味を重要視しないで音だけをとって換骨奪胎しているだけです。しょうもない能力です」と言ってくれた。彼も駄洒落は下手くそであったのだが。

そのパロディなのか駄洒落なのか曖昧模糊のジャンルのままで、「ファイル」から取り出してみよう。ほとんどはblog、SNSから拾ってきた短いもの。(モチロン、「もと」が解らないとパロディはまったく面白くない。)

1)まっとうに言葉の入れ替えでやっているもの―

「いつでも眠れる獅子」
「東大もっと暗し」
「ローマは一日でならず者」(これはもの凄く好き。本質をえぐっている。)
「不気味が代」(なんとかなりませんか、この国歌。どんどん気分が萎え。)
「好き者こそ上手なれ」(中学の受験雑誌の投稿欄とか。恐るべし。)
精子一滴何事かならざらん」(これも中学生……。何事か為る。)
「出過ぎた杭は打たれない」(すでに、相当に有名。)
「惹句ナイフ」(コピーライター岩永さんのコラム)
「百言居士」 (何事にもいちゃもん。)
「坂本頓馬」
「話しの腰を揉む」(よくこれをする……)
BANDAGE(バンドウエイジ)」(映画のタイトルのようだ……)
「ノーベルええわ賞」(いいと言っているのか、どうでもよろしと言っているのか……)
「殿下の放蕩」(大いにあるある……)
「感慨部会」(送別会にピッタリ)
「コレオレ詐欺」(ヒットしたコレはオレがやったという下品な輩)
「のいちご白書」
フランチャイズの犬」(辛いねぇ)
ガンジー」(癌のじいさんの自称)

2)ちょっとひとひねり入れてあるもの―

「自分の事を上げる棚はたくさんある」
「おだてられ猿は木を一瞥」
「やらない善よりやる偽善」
「信者を一文字にすると儲けになる」
「男の顔は履歴書で女の顔は請求書だ」

3)プロの作家のもの―

「目からウロコが落ちるのと目にウロコが飛び込んだのはどう区別するんだ?」(星新一
「『この刺青いいわ』とスケが言ったから7月6日はカラダ記念日」(ご存知「サラダ記念日」の本歌取り筒井康隆

こうしてみると、日本人って最近面白くなってきたのかしらんと思う。
このような決めセリフでないが、精神的に「パロってしまえ!」という気分が横溢しているものにもよく出会す。

―いわゆるテレビに出演してコメントをしゃべっている評論家に対して……

「あなたは真実を伝える立場としてですね、ヅラはどうかと思いますよ?」

とズン!と一刀袈裟斬りにしている。カツラ被って自分を偽っているくせに、不正に非を鳴らし正義をしゃべってどうする?と言っている。お見事!

―ネットの質問箱に「横断歩道を渡るときに小学生はなぜ手を挙げるのですか?車を運転していて気になります」というボケた質問をしたヤツがいた。質問者自体がボケナスなのか、ワザとツッコミさせるためにボケをかましているのは判然としなかった。
それに対して、やれ「交通標語が云々」といういかにもの解答が続くなか、次のように答えた人がいた。

「足を挙げて渡ると、ものすごく危険だからです」

これには大いに笑った。全く異なるアングルからの解答を提示して、質問そのものにも月並みで常識的な解答にも、それらもろとも全部をゴミ箱にザラザラと捨ててしまっている。

もちろん、「オマエら、バカなの?」という彼の嘲笑も聞こえるのだが……。

(完)