3.11

福島の「原発」の動向・推移のありようでは、どうなっていくのか解らない。荒波の上の笹舟のように儚い気分にさせるこの二週間余。
こんなときにブログに何を書けるのか?もしくは何を書かないといけないのか?
今回の歴史的大惨事に関しての、そのときどきの感想やコメントはtwitterfacebookに置いてきた。だが纏めたり総括しようというほどのパースペクティブなものは持ち合わせない。余りに変数が多すぎる上に事はみなヘビーで深刻すぎる。
でも備忘録と思えば、メモを残すくらいなことはできるだろう・・・・・・と。
ちょうど、コンピュータのメモリに思考の断片を置くように・・・・・・。

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■9.11はアメリカ国民にとって到底忘れられない日になったが、日本人にとっては3.11がそうなのだろう。名前さえも各メディア、政府などで統一がとれていない大地震+大津波がやっと「東日本大震災」に落ち着いたらしい。これにさらに「原発事故」のオマケまでついた。管首相が言うように正しく「国難」というのに相応しい。

■地球を表現するのに熱く煮立たせたミルクの比喩がある。その上に表面だけが冷えて出来る薄い膜が我々の住んでいる大陸であり地面らしい。下のミルク=マントルの対流で膜は移動したり切れたりくっついたりする。それを「プレートテクトニス」と呼び、かつてのゴンドワナ大陸とかパンゲア大陸から現在のものに変容してきたという。まだ若い惑星である地球は熱くたぎるマントルがミルクを煮立たせるように対流している。時間のスケールを変えて考えれば、昔からさして変わっていない。
日本は、誤解を恐れずに言えば、そもそもが地震でできた列島だと思う。「北米プレート」「太平洋プレート」「フィリッピン海プレート」「ユーラシアプレート」という4つのプレートの上に危うく乗っかっているのが日本列島。今回の「マグニチュード9」は「北米プレート」の下に「太平洋プレート」が強引に潜り込むことにより起きた大きな摩擦なんだろう。これがおさまるべきところにおさまるまで余震は続く。
最近は船酔いならぬ「地震酔い」の状態にボクもなっている。

 ★画像「日本列島のプレート」

 ★これ相当に怖い「日本地震マップ」http://www.japanquakemap.com/  


■ボクは1994年にLAでノースリッジ地震を経験している。マグニチュード6.7だが極めて浅いところで起きたので、震源地近くでは一階部分が潰れて二階部分がそれに座り込んじゃっている建物もあった。 震源地近くの知人は寝ていて(地震は真夜中だった)、ベットから垂直に1メールも跳ね上げられたと言っていた。震源地からやや離れた我が家近辺では、揺れでクルマの盗難防止のアラームが街中で鳴り出し、それに合わせて街中の犬が遠吠えをするというちょっと不思議でなんだかユーモラスでさえある情景であった。
現地でキャスターのようなことをやっていた若い女性はそれ以来不眠症になり、故郷の神戸に帰ったが、そこで再び1995年の阪神・淡路大震災に遭っている。

■今回の震災は東北・関東のほとんどの人にとって人生で初めて経験する種類のものであったろう。とりわけ、桑田佳祐が「ツナミのような侘びしさに・・・」と唱ったtsunamiが侘びしいどころではなく、暴虐無尽の振るまいにいろんな街が一瞬にして潰え戦場のような有り様になってしまった。この歌に関しての多くのクレームに桑田も詫びを発表する始末に。
ボクにとってはひたすらに”the massive disaster”という言葉だけしか思い浮かばない。

■ニューヨークタイムスの写真・・・テレビにだけ悲劇があるわけではない。写真の方が深く訴えるのかも知れない。ボクはこれをみて谷川俊太郎の詩を想った。

  かなしみはむきかけのりんご 比喩ではなく 詩ではなく ただそこに在る 
★[Photos of Japan After Earthquake and Tsunami - Photographs - NYTimes.com
]

 ★映像:「津波なんてシャレにならないし・・・」「これって死ぬ何秒前ってこと?」・・・・・・この映像の後、たまたま流れてきた船に飛び乗り、民宿の二階にぶつかったので窓硝子を破って入り、屋根に登って九死に一生を得た。凄過ぎる経験。

■誰かのブログに・・・・・・

「10人に1、2人は『大変なことが起きたので、そのように自分も振る舞わなきゃならない』(a )と思っていて、10人に1,2名は『経験した事のない珍しい事に遭遇したので、これを面白がろうとする」(b)の両極端に分かれる」
と書いてあった。残りの7,8人(c)はどうしていいか解らずに呆然としている、もしくは、自分の旗幟をを鮮明にしないままにして置く積極的痴呆状態に自分を置いておく。それと、twitter上に多く散乱していたのは「このような時に不謹慎である」という発言。この多くはaからbへ投げつけられていた。

考えてみれば人類の社会なんてずっとそうだったのかも知れない。人類の進化・発展に貢献してきたのは、いつも(b)だったし、この不謹慎な(b)のアイディアを実行実施するのは謹慎な(a)のグループだった。そして、(c)のサイレント・マジョリティは洞ヶ峠で趨勢を見て、勝ちそうな方へ参加する。
「こちらの方が“面白そうだから”を理由に次の行動を決めてきたのが人類だ」とライアル・ワトソンが言っている。その面白がることで進化を重ね、4つくらいあった氷河期を頭脳で生き延びてきた種なんだ、われわれは。

■“被災地に直ちに赴いてボランタリーへ行こう”などとtwitterなどで大声を出している・・・・・・「災害躁病」と言ってもいい連中はaにもbにもいた。中間層は依然として黙然と傍観している。

■まだ10歳の「はるかぜちゃん」(@harukazechan)がtwitterで、

「分かりもしないのに分かった気になって流す、いい人ぶった涙はもういりません(ω)じぶんに酔うための同情は被災地の方にも失礼です(ω)涙をふいて、不謹慎という言葉を謹慎して、じしゅくをじしゅくしてがんばりましょう(ω)」

と。

■面白いのは、今回の大震災のようなときには、どうしても個々人の思想というか生き方、世界観のようなものを吐露せざるを得なくなる。いままでの時代では、体制が仕切っていてどうにもならないとか、分厚い閉塞感で息苦しいと言っていたのに、それらが一時的せよ取り払われたのに、やはり7、8割の人は火の粉が被らないようにそれらを吐露せずに沈黙に入っていた。上記した積極的痴呆であるし、思考停止もしくはメルトダウン。 そして、躁状態の人たち同志での切り結んで鍔競り合いのようなものがそここで見られ、その勢いは翼賛的な救国内閣を作れのようなものにヒートアップしていった。「一億総火の玉」思想だよ、これは。

twitterでのある女性のtweet

「私は日本人ですが正直日本にいることが怖いです。怖いのは地震でも放射線でもなく、危険の可能性について慎重よりな発言すると<煽ってる>、安全のための行動をとると<自分だけ>と白い目で見られそうな雰囲気。この状況が続く若しくはもう一度何か起こった場合、みんな大丈夫なのかちょっと心配」

こういうセンスを持っている人がいるなら、日本も大丈夫。

■驚いたのは震災後、直ちに援助を申し出た国々が50ヶ国を越えたことだ。“日本て、そんなに好かれていたのかい?”下記のことも効果的に影響したのかも知れない。

■各国の新聞が東京特派員のニュースを伝え、これほどの大惨事に遭いながらも、「我慢」「抑制」「秩序」「復元力」などを失わないことを絶賛し、他の国なら起きるはずの、「略奪」「暴動」がゼロなのを奇蹟と評した。
佐々木俊尚さんはこれを「日本人の特質は危機の時にしか現れない」とした。すばらしいと言えばすばらしいが。だが違うと思う。もともとの底流がそうだったから、こういう「出る杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」式の日本になって来たんだと思う。だから哀しいと言えば哀しいのだ。
だから「chikirinの日記」でchikirinがいうように、因習な体制で閉塞していたものを「我慢せず、抑制もせず、秩序も無視して」new trialをすればいい。

■特派員を含めた外国からの駐在員は原発の問題が明らかになってから、一斉に国外退去した。それを「エクソダス」(栄光への脱出)と称した。日本はエジプトではない。

Bloomberg BusinessweekのCrisis in Japan特集号の表紙。日本総領事館は「日本が分断されているようで不適切」と抗議したらしい。むしろ、我々の心の悲しいヒビに見える。もしくは男の慟哭を表現しているようにも見える。かえって適切。いい仕事じゃないかと思う。

 ★特集号の表紙

■メディアの王座をほしいままにしていたテレビが王座から転げ落ちそうになっていたが、この震災で久し振りに王座に帰り咲いた。ただ、どうなの?どの局も似たような報道で争っていたのは?こういう時くらい局間で話しをつけて、担当を決めたらどうよ?ある局は原発、他は被災地のA地域、さらに違う局はB地域・・・・・・のように出来なかったのか?(テレ東は論外。ボクが見たときには『何でも鑑定団』だよ・・・)あとは、お笑い芸人たちが失業状態。とにかく不謹慎と自粛の自主規制。

■広告主がCMを遠慮して引き上げたから、埋め草としてのACだらけになって視聴者から大顰蹙。子宮頸ガンや“ありがとうと言ったらありがとう・・・”。もういい。「このACのセイで私は病みました」という書き込みに思わず失笑。pray for Japanなどで海外からのすばらしい励ましのビデオがSNSには沢山出回っていたのに、それをすぐさま取り込むという柔軟性はないのか?面子が立たない?

■結局、番組からは芸人が消え、CMが全てACになるってことは、普段いかに不謹慎なものばかりで、野放図にやってきたかという証明。

■そのなかで、北野武がブログで言ったらしい・・・

「今回は二万人が亡くなった事件が一度あったということではなく、一人亡くなった事が二万件あったということだよね」

この言葉がよくわれわれの心情を描写していた。

■震災当初携帯電話がまったく通じず、回線がある限りtwitterfacebookの方が通じた。そのためか、twitterに相当のニューカマーが流れ込んできた気配。このことでtwitterは完全に大勢が「アーリーアダプター」から「アーリーマジョリティ」へのキャズムを越えたという人と、twitterが“ゴミ溜め”状態になったという人がいる。双方とも正しいと思う。

■一部ではテレビとSNSのコラボみたいなことが言われたが、それは震災直後のみ。それはテレビが情報源としてtwitterを頼りにせざるを得ない瞬間があったということかな。でもすぐさま、「テレビはテレビだ」のオレ様に戻ったように見えた。テレビは一度で100万人単位への情報発信が出来るが、SNSでは精々1万人単位。このスケールの差はやはり大きいのかなと。もちろん、年配者が多い被災者にとっては回線が復旧したとしても、デバイスの問題があったのだとも思う。

■そんななかで、savejapanのオーガナイズは見事だと思う。20歳の学生が立ち上げたと言われているが詳細は知らない。http://savejapan.simone-inc.com/index.html


■pray for japan・・・・・・これもSNSが勝負するべき本当の「場」を見せてくれたような気がする。
 ★http://matome.naver.jp/odai/2129992696546766901 

・もう一度、「はるかぜちゃん」のブログから彼女の言葉を。


「震災のあと何もかもうしなって、道にすわりこんで
 何日も一点をみつめつづけるおとなたちを
支えてあげられるのは、
どんな地獄の中でも生きようとする子どもたち(ω)

 日本は平和でした(ω)
 だからぼくたちは守られて大切にされてきました(ω)
 でもこれからは違う(ω)
 守るより力を(ω)
 生き抜く力をください(ω)」


この10歳女の子は何者?この感性はどうしたこと?
これを読んで泣き崩れた大人がいた。

■10歳の女の子に任せて大人がボー然としてられない。
 ★「復興宣言」・・・台湾や韓国や中国、アメリカなどの国からの援助隊のことを忘れてはいけない。  → http://www.youtube.com/watch?v=wgqMkeHG0o8

■#egao311 LOVETOHOKU「被災地をメディアでつなぐプロジェクト:笑顔311」
大矢中子さんというチャーミングな女性が秋葉原と仙台をustreamで繋いで被災地のボランティア情報などを紹介する番組を始めた。もともとustreamアメリカの海外出兵の兵士と彼らの家族を映像と声で結ぶ目的でウエストポイント陸軍士官学校のエンジニアが作ったもの。だから目的的には合致したプロジェクトって思っている。

(完)