「日本から学ぶ10のこと」


869年の「貞観地震津波」の1142年後に襲ってきた「東日本大震災」は暴虐の限りを尽くしたが、それの膨大なエネルギーが福島原発を破壊した。
このブログを次に書くときにはフクシマは人間が制御できる範囲内に納まっていればいいなと期待していたが、ついに汚染水が海に流れだし、物事の深刻さは全くといっていいほど改善されていない。

この3週間というものTVを観て泣き、twitter,Facebook,blogを読んで涙する日々であった。

そんな時に、さかのうえさんという方のブログ「犬も歩けば渋谷にあたる」(http://blog.sakanoue.com/archives/51614545.html)を読ませて貰った。
ワシントンDCの世界銀行国際通貨基金のスタッフの間でまわっているメールだそうだ。
彼女(多分)が意訳してくれたものだけを掲載する。

【日本から学ぶ10のこと】

1.静寂―そこには威勢よく騒ぐ人はなく、嘆きにくれ叫ぶ人の姿もない。ただ、悲しみの存在だけがこみあげている。

2.威厳―水と食料のための待ち行列は規律があり、そこでは荒い言葉を吐いたり、粗雑な行動をとる人がいない。

3. 能力―信じがたいほどの能力ある建築家たち。ビルは揺れた。しかし崩れたビルはなかった。

4. 品格―人々は自分達が当面必要としたものだけを買った。だから、皆がそれぞれ何かものを手にいれることができた。

5. 規律―店での略奪はなく、路上でも追い越しや叫ぶものはいない。皆が理解を示している。

6. 犠牲―原子炉にポンプで海の水をかける為にとどまった50人。 彼等にこの恩をどう返せばよいのか?

7. やさしさ―レストランは値下げをし、警備のついていないATMはそこに放置されたままである。そして強い人は弱い人の世話をしている。

8. 訓練―老人、子供、皆はそれぞれ何をしたらよいのかきちんと知っており、 そして、彼らは淡々とそれをしている。

9. メディア―報告する時に抑制し落ちついている。 愚かなレポーターがいない。 落ちついたルポが続いている。

10. 良心―店で電源が切れた時に、レジに並んでいた人々は、物を棚に戻し、静かに店を去った。

本当にInspirational(霊感を与える)--日出ずる国(the Land of the Rising Sun)で起こっていること。


モチロン、全部が全部ではない。(この震災で株式と為替で億万長者になったヤツだっているらしい)しかし、概ねこうだよねって同胞の振るまいとか行動だから解る。そのことが外国人には神秘性を帯びたInspirationalまでに昇華して受け取られているのには逆に驚く。

このちょっと前、ITジャーナリストの佐々木俊尚さんが「ニューヨーク・タイムス」のコラムを紹介していた。やはり、「暴動」「略奪」の類が一切なく、日本にあるのは「我慢」「抑制」「秩序」……のみであるというような記事であった。(現に警察庁のレポートでも、この震災関連の犯罪は「ゼロ」と言っている)
われわれはなんと健気で殊勝で、そして、切ないほどの民族なのだろうと思った。

30歳くらいの若き友と話したときに、「ボクらは日本はツマラナイ国だ、どうしようもない国だと言われてここまで育ってきたのだが、この震災ではじめて“すばらしい国民”だって言われている。やはり、胸を張りたいし、高揚もしますよ」と言っていた。

佐々木俊尚さんが前述のことを紹介するときに「災害の時にしか現れない日本人の特質」って前書きしていたが、それはどうかな?と。違うと思う。日本人が平時もずっと携えわきまえてきたもののような気がする。

「武士」もしくは「武士道」。このコンセプトは、どうかなと思う人に多用されるので、好きではないのだが。

「幕末に完成した武士という人間像は、日本人がうみだした、多少奇形であるにしてもその結晶の見事さにおいて人間の芸術品とまでいえるように思える。……サムライという日本語が…今なお世界語でありつづけているのは…類型のない美的人間ということで世界がめずらしがったのであろう……」
「武士の道徳は、煮詰めてしまえばたった一つの徳目に落ちつくであろう。潔さ、ということだ」

司馬遼太郎さんからの引用である。

今回の「日本人に学ぶ10のこと」のことを読むにつけ、NYタイムスのコラムを読むにつけ、われわれに色濃く投影されている「武士」の像を感じずにはいられない。この「武士道」というコンセプト自体が拡がりを持っていて難しいが、徳川の代に儒教朱子学)の「仁・義・礼・知・信」で裏打ちされた生き方のようなものだと思う。
日本人のプライドとか矜持の源泉はコレなんだと思う。それが140余年たってもわれわれのなかに潜んでいることにさすがに驚く。「恥の文化」の裏焼きの「精神の格調」だ。とにかく“社会的生き物”である人間としての完成度は国際基準を遙かに凌駕しているようだ。

ただどうなんだろう?ただひたすらにこのことを喜んでいいのか。「暴動」や「略奪」に決して恋い焦がれているわけではないが、瞬間風速的にすさまじいエネルギーの暴発が規制の枠組みを打ち砕く。日本はずっとリミッターが利き過ぎる社会でありすぎたのじゃないか?儒教というのは体制に従順な民を育てる“宗教”だから……。
モチロン日本の歴史にも「焼き討ち」とか「打ち毀し」があったし「一揆」もあった。でもこの100年くらいはぱったりとない。いつも「出る杭は打たれてきた」し「長いものには巻かれて」きた。

論は大いに逸れた。元に戻す。

震災直後からはじまった豪雨のようなACのCMに病気になりそうになったが、その後始まったタレントたちの「みんな一緒です」とか歌をうたって励ますのような空々しいのにも大いに白ける。コミュニケーション作法を解ってないんじゃないかとさえ思う。その上、当の被災者の心になんら沁みていない。
http://anond.hatelabo.jp/20110407001402

サントリーのものも、どうなの?って感じだし。http://www.suntory.co.jp/enjoy/movie/d_s/880953901001.html

作家のあさのあつこ

「3.11をただの悲劇や感動話や健気な物語に貶めてはならない」

って言っている。薄っぺらい愛でおためごかしをするただの三文芝居にしちゃだめなんだ。被災した人々をどう救済できるのかという大型の制度とか政策を打ち立てていかなきゃならない。もちろん、来るべき大型の地震津波に対する対策も。あっ、原発へのスタンスも。

「起こるはずがないと思いたい災難の多くは、起こり得ないのではなく、起こるまでに時間がかかるだけのことである」(『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたか』 J・チャイルズ

災難はいつも準備されているってことだ。
「想定外」って逃げられるのか?「想定外」といって逃げられない被災者は現にいるんだから。


はるかぜちゃん(春名風花)のブログの詩を紹介して締めよう。
9歳の女の子にこれをいわれちゃーね。大人はもっと凜としなきゃ。

  *    *    *    *    *

震災のあと何もかもうしなって、道にすわりこんで
何日も一点をみつめつづけるおとなたちを
支えてあげられるのは、
どんな地獄の中でも生きようとする子どもたち

日本は平和でした
だからぼくたちは守られて大切にされてきました
でもこれからは違う
守るより力を
生き抜く力をください

  *    *    *    *    *


(完)