ポトマックの桜


 1977年。ワシントンDC。一家でポトマック公園へ花見にきている。それまでは花見フリークというわけでもなかったのに……。「あんなすごい桜は日本ではすでにない」と誰かがいったことばに刺激されたのかもしれない。それともただ単に、“日本的なるもの”に惹かれただけなのかもしれない。とかく海外にいると、日本では関心がなかった妙なものに、魅力とか磁力を感じることが往々にしてあるものだ。

 ワシントンDCとバージニア州を区切っているポトマック河。この畔の両岸にポトマック公園はある。3月末から4月のはじめにかけて、このポトマック公園は8000本といわれるあふれんばかりの桜の花で埋まる。
派手好みの西洋人にはヤエザクラの方に人気が集まったりするが、ここの桜は正真正銘のソメイヨシノだ。 「桜は果報者よ」という言葉があるが、葉が出る前に花が咲くソメイヨシノのことを指す。葉がじゃまをしないので花の色に濁りがなくひときわ花の美しさが引き立ってトクをしているというのだ。これを“葉なし桜”ともいい、これが“歯なし”に繋がって「姥桜」とも呼ばれている。

 そのおびただしい桜の花が、水面に映えてさらに倍増し、パルテノンを模したといわれている

「ジェファーソン記念館」の純白の映りこみが、薄いピンクの桜色を一層際立たせて、息をのむほどに美しい。また、水晶の結晶体をもっとシャープにしたような「ワシントン・メモリアル」
オベリスクも遠景のアクセントとして悪くない。「爛漫」というのはこのような事を指す以外になにがあるのだろうか。「爛漫」が幾重にも重なり合って、アメリカ人の大好きな「豪華絢爛」な絵巻になっている。


 桜にそれほど興味がないときから、いつもの通勤路にあっても気がつかなかった桜の木がある日突然総身から湧き立つばかりに淡いピンクの花を身につけて凝然と立ちすくんでいるのを見ると、思わず後ずさりしていた。それは「妖艶」とか「女の情念」のような熱さのない熱気のようなオーラを感じ、その火照りに背筋がぞくっとするからだった。
草木染の桜色を採る職人は、桜の花の咲く直前に、桜の幹の皮を剥いで、その甘皮を煮出して作るのだという。つまり、桜は何ヶ月も前から、“その日”のために全身を徐々に紅に染め上げて、“その日”一気に「想い」を花に託するのだという。……ほら、私が桜にずっと感じていたことは、間違ってはいなかったのだ。
 そんなことを家人に聞かせたりしながら、その公園をそぞろ歩いている。と、2メートルに近い大柄で無骨な感じの白人が近寄ってきた。ダウンベストとジーンズとドタ靴の熊のような奴が話しかけてくる。

 「日本人か?」
 「そうだ」
 「それはよかった。ずっと前から、日本人に言いたい事があったんだ」
 「なにを…」(真珠湾のこと今更いわれても、困るぞ……)
 「いやなに、この桜の木のことさ。本当にすばらしいプレゼントだと思うんだよ。マア、プレゼントと  いうのは嬉しいものには違いないけどさ、その場限りのものだろう。でもどうだい、この桜は違うね。毎年春になる見事に咲いて、われわれに日本のこと、日本人のことを思い起こさせてくれる。そう、日本人の繊細な心配りのことをさ。日本人というのは、本当に素晴らしい民族だ。なんたって、世界で一番すばらしいプレゼントができる人たちなのだから…」
 「そんなにお褒めにあずかろうとは…。とにかくありがとう」
 「じゃ。“日本”を楽しんでね」

彼は“ハイ、用事は終わり”という感じでくるりとダウンベストの背だけみせて、大股で去っていった。
(そんなに喜んでもらえれば贈った方も本望だよ。だけど、そんなすばらしい謝辞が言える君の方がもっと美しいかもしれない……。)

 ニューヨークの「自由の女神」はアメリカ合衆国建国百年祭(センティニアル)を記念してフランスから合衆国に贈られたものだ。そして、日本からのこの桜の贈り物は……?このポトマック公園に桜をと思いついた人たちがいて、それが時のタフト大統領の夫人を動かし、東京市長尾崎行雄翁の知るところになった。彼は以前より日露戦争における合衆国からの日本へのサポートを徳としていたので2000本の若桜を寄贈した。しかし、それらは害虫もしくは病原菌の寄生を理由に、全てが焼却されるという憂き目にあってしまった。それではと、彼は3年の歳月を掛けて、無菌・無害虫の苗木を栽培させ、それを贈った。1912年それらのソメイヨシノポトマック河畔に根付いた。両国にとって忌まわしい太平洋戦争を挟んでなおかつ、本国を凌ぐほどに繁栄している。いまでは、その子供、孫たちが全米各地でアメリカ人を楽しませている。
 このソメイヨシノの返礼として、バージニア州の州花であるアメリハナミズキが日本に寄贈されたという話を聞いた。しかし皮肉なことに、理由はよくしらないが、アメリハナミズキアメリカではどんどんと枯れ衰えて、いまや日本が地球で最大の繁殖地だという。 日本のソメイヨシノが衰えて、アメリカのソメイヨシノだけが盛んになるという日が来ないようにと秘かに祈っている。

 日本画の巨匠・東山魁夷が「人の心理とか感情の入っていないで、美しい風景とされるものはない」といっている。この言葉は美しい自然ということが前提なのだろうが、ソメイヨシノに関してはもっと積極的な意味合いで考えてみる。このソメイヨシノはすでに生殖能力を失っているので自らが子孫を増やすことはできない。挿し木……つまり“クローン”栽培で命を繋げている。人間が手伝ってやらなければ絶対に命を継いでいけない。世の愛玩動物は捕殺者としての能力を落として“可愛いさ”で人間に寄り添い種の継続を行っている。イネも自分たちは有用な食料になるということで人間に寄り添い種を繋げていっているのだという。じゃこのソメイヨシノは?この桜は人々の心理の襞に忍び寄るように迫り、人々の魂へ静かだが熱い感情を昂じさせることで命を繋げているのだと思う。
だから、この桜の企みによって人々はその心に「絢爛」や「春や春、春南方のローマンス」や「花の盛りの儚さ」とか「散り際の美学」などなどを去来させられるのだ。

(完)