ジプシー


「ニース国際空港」からカンヌへ。「カンヌ広告祭」(最近、名前が変わったが・・・・・・)である。プレゼンテーションを控えていた。「カールトン・ホテル」から海岸通りを経て、会場である「シティ・ホール」に向かっている。左手はあの「コート・ダジュール」=蒼い海岸線。海も砂浜も光っている。風さえもきらきらと光っている。
そのナイス・ブリーズの道で、色がやや浅黒く小柄な少女たち3、4人に突然取り囲まれた。手に大判のグラフ雑誌のようなものを持っている。“買ってくれ”か?言葉がまったく分からない。non!non!と断り、追いすがる彼女たちから自分の身を引っぱがすようにそこを離れた。二三歩行ってから、“あれっ?”と上着の胸ポケットに手をやるが財布がない。“やられた”と急いで踵を返して、先ほどの少女の一人を追い掛けた。道から外れた芝生に追い詰めた。「オレの財布を返せ」と英語で。と、その少女は突然Tシャツをまくり上げた。少女のイメージを裏切る大きなバストがぽろりぽろりとふたつ。コートダジュールの陽光にぽろりだ。“ワタシは何も盗んでいない”というボディ・ラングエッジらしい。
こうされて、男はどうすりゃいい?ウカウカするこちらが犯罪者になる。“お前達には負けた”と諦めて、しおしおとシティ・ホールに向かう。

(財布には現金は入れていない。が、クレジット・カードが厄介だ。用事をさっさと済まし、直ちにキャンセルしなきゃな・・・・・・)

先ほどまでの南フランスの明るい陽光が陰鬱なグレーに変わってしまっている。やれやれ。
背後から「ムッシュー!」の声。振り返るとさきほどの“オッパイぽろり”が私の財布を持っている。身振り手振りで「コノサイフ ミチニオチテマシタ コレハアナタノデハ アリマセンカ?」と言っている。
見事なものだ。そうきたか!財布に現金が無いと解れば、そうするのか!
しかし、クレジットカードのキャンセルとか考えると、これは実にありがたい。
「メルシーヴク」なんて言っちゃっているボク。オマケにチップの小銭の何フランかを渡しているボク。“盗人に追銭ってこれをいうのだな”と苦笑いのコートダジュール

ヨーロッパの観光地、リゾートに多いジプシーの集団スリだ。彼らは幼い頃に貰いっ子されて、親方の元で徹底的にスリの教育を受ける。曲芸団に入った少女が曲芸を仕込まれるように、スリを仕込まれる。それが彼女たちの生活だし商売だし価値観なのだ。
私が餌食になったときにも、鵜を操る鵜匠のように親方は一部始終をちょっと離れたところで観察・監督をしていたはずなんだ。財布を返してきたのも彼のマニュアル通りだと思う。


「ジプシー」って言葉を聞くと大概の日本人はそこに異国情緒を伴なったセンチメンタルなものを感じてしまう。スペインのフラメンコは強くジプシーの影響で醸されてきたことは人口に膾炙した話し。
15世紀頃にヨーロッパに現れたジプシー(ロマ)たちは今現在ヨーロッパで一口に1000万人から1200万人いるとされている。ある程度のパーセンテージは定住しているが、いまでもヨーロッパ各地にはこのジプシーが“漂流”“彷徨”している。そして各国にとって治安・防犯も含めて“頭の痛い”問題であり続けている。

それにしても不明確で謎の多い民族で、その呼称でさえ統一されていないし、どこを源に発する民族なのかもはっきりしていない。
現在のやや定着した説は「ジプシー」というのは「エジプシャン(エジプト人)」の頭が飛んだ言い方で、多分彼らの出自がエジプトなのだろう。フランスでは「ジタン」(煙草のブランドになっているが・・・・・・)と呼ばれる。北インドの「ロマニ族」が出自とされものたちは自らを「ロマ」と呼ぶ。だがそれを嫌う“ジプシー”もいる。

このように彼らの歴史や文化が不明瞭なのは600年以上ずっと色んな国家で差別・迫害されてきたからによる。ナチスドイツの迫害やルーマニアの迫害・差別も激しいものであった。差別側は被差別側の歴史を許さないからだ。
アフリカに出現した現世人類がアラビアなどを経由してインドに落ち着き、そこから各地に分散して行った。そのうちで、インド北西部の人々がコーカス山脈を越えてヨーロッパに定着したのが「コーカソイド」(白色人種)の起源であると現在の人類学は教えてくれる。ただし、それは有史以前の随分前のことであり、それより随分遅れて「ロマ」がヨーロッパに出張っていったということになる。単なる先着順なのだが、遅れた民族は遅れた存在になり、差別の対象になる。


その1年後くらいだったと思うが、ロンドン。知り合いにイギリスの庭やガーデニィングを見たいというと、彼女の都合がつかず、ひとりのイギリス人を紹介してくれた。彼が車で郊外まで案内してくれた。村まるごとがいわゆる“イングリシュ・ガーデン”で纏めてあり、彼らのガーデンに対する並々ならぬ情熱をイヤという感じた。
その案内人は「オレは英国とジプシーとの混血だ」と冒頭に自己紹介をした。それからというもの、ドライブの途中、庭を見ながら、村のパブでとずっと文句を言い続けていた。つまり、英国の社会システム、身分制度、王室のありかたなどなどについてのコンプレインが止めどもないのだ。
英国はサラブレッドを生んだ国である。thoroughbred(徹底的に飼育された)とはアラブ馬などから交配と淘汰を繰り返して作り上げられた種である。これは同時にイギリスの社会にも当てはまり、交配と淘汰により身分制度が作り上げられている。
彼のようにジプシーの血が混じれば“不徹底で”、差別の対照になることは火を見るより明かだ。その民族の怨念が後押ししているウラミツラミの吐露なのである。これについても、イヤというほど感じた小さな旅であった。

ジプシーといい、ボヘミアン(ジプシーのまた別の言い方…)、ノマド遊牧民)などの言葉になぜこんなにも惹かれるのだろう。多分、その“漂泊の思想”に磁力があるのだろう。

(完)

<参考資料>「各国で今に生きるジプシー」
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52023751.html