ノーマン・メイラー


「ボクは言葉の魔術師だから……」と嘯いて憚らない友人がいて、そいつがなんかの時に……

「宇宙の中心は勇気だ」

と言い放った。それを聞いた瞬間、雷に打たれたような衝撃をうけた。“エッ!?そうなの”心を落ち着けてから努めて冷静に「誰の言葉?」と尋ねると「ノーマン・メイラーだよ」とそいつは答えた。

ノーマン・メイラー。学生の頃、彼の『裸者と死者』と格闘したことがある。上・中・下とあるような大部なもので、情けなくも途中で投げ出してしまってそのままになっている。

1923年にハンガリーユダヤ人の両親から生まれ、16歳でハーバード大学に入り20歳で卒業。卒業とほぼ同時の1944年に第二次世界大戦に陸軍兵士としてレイテ、ルソンに従軍している。終戦後は進駐軍として館山、銚子にも上陸している。この経験をもとにして25歳のときに書いたのが『裸者と死者』である。
この小説は“アメリカの作家によって書かれた太平洋戦争をネガティブに捉えた初めてのもの”といわれている。25歳にして一躍ベストセラー作家になり、2007年84歳で死去するまでのほぼ60年間現役の作家であり続けた。

1998年作家50周年を迎えた75歳のときに次のように述べている。

「自分の本を読み直してみると、一つの大きなテーマが浮かんでくる。作品のほとんどはアメリカに関するものだ。アメリカを愛していることは確かだが、同時にまったく愛してもいなかったということも分かった。民主主義という壮大な理想は、繰り返される愛国主義によって永遠に中傷され、汚され、悪用され、その価値を失ってきた。この偉大な国は、10年おきに欲にまみれた破壊行為を繰り返している」

生涯を通じて社会に対する怒りの声を上げ続け、反体制的で政治色の強い内容の伝記やノンフィクションの作品が多いことから、トルーマン・カポーティと並んで、「クリエイティブ・ノンフィクション」と呼ばれる分野の第一人者となり、その作品は「新ジャーナリズム」の見本として称賛された彼の面目躍如たるスピーチである。

冒頭の「宇宙の中心は勇気だ」という言葉は、それ以来色んな場面でボクの背中を押してくれてきた。

その“勇気”があるとき「ビッグバン」を起こし、その爆発はまだ続いていて、秒速で100万キロだか200万キロのスピードで拡散というか膨張をしていて、その過程でアンドロメダ銀河系や天の川銀河系をつくり、その天の川の一角に太陽という恒星をつくり、その衛星の一つとして地球をつくった。さらに地球に生命を育み、人間にまで進化させ、男と女をつくり、恋をさせ、子供を生ませ生命を持続させていく。

この世のすべてことは「勇気」があったから成り立っている。そうなんだ、それに比べりゃ“これしきのことくらいなんだ。勇気だろっ!”とボクはずっと心を奮い立たせてきたのだ。

しかし実は、このノーマン・メイラーの言葉には前後にいろいろと条件がついていた。

「ぼくの信念だが、恋はわれわれの徳にではなく、勇気に対して与えられたごほうびだと思っているんだ。ぼくは宇宙の中心は勇気であり、キリスト教の教える慈愛ではない、と断言してはばからない」

……となっていて、ちょっと気落ちした。恋話しだったの?って。

いずれにしても、ジャーナリストであることを止めなかったノーマン・メイラーの言葉というのは、山葵の辛さとか蕗の薹(ふきのとう)の苦さがいつも含まれていて名言というよりは箴言(しんげん)と呼ぶべきものが多い。ボクのメモ帳にも結構ある。

「本当に大事なことのうち、格好をつけたままでやれることは、一つもない」
「私は民主主義とは大きな賭であり、非常に珍しい政治体制だと考えている。人間は子供の頃から命令されるのに慣れていて、ファシズムのほうがむしろ自然なのだ」
「日曜日には教会で清貧を祈り、残りの日はカネ儲けに狂奔だ」
「裁判所で向き合うまでは本当の女を知る事は出来ない」
「男らしさというのは、最初から与えられている資質ではない。自ら獲得するものである。正々堂々と小さな戦いを重ねて、勝利を味わってみて、初めて手にすることができるものなのだ」

ヘミングウェイとモンロー。彼らの名前はそっとしておけ。彼らは私たちにとって、いちばん美しいアメリカ人の二人だった」
「俺もこの年になってようやく、善人の考えることがわかってきた」
……と、ひとつひとつがすごくビターだけど味は深い。


それにしてもここで気がついたことがある。それは、司馬遼太郎との不思議な符号である。1923年の生まれも同じ。1943年の学徒出陣も同時期。満州の戦車大隊から敗戦の色濃くなり栃木に戻り、そのまま終戦になったとき22歳だった司馬遼太郎は……

「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれたのだろう? いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?」

との疑問を持ち、

「昔の日本人はもっとましだったにちがいない」

として「22歳の自分へ手紙を書き送るようにして小説を書いた」と述懐している。メイラーと同じく、軍隊での“最悪で最も貴重な”体験が、作家生活の原点にあった。“司馬史観”と揶揄されながらも揺るがぬ歴史観、絶筆となってしまった『この国のかたち』にみられるような国家や人類の行方に対しての憂慮、ジャーナリスト・学者をも凌ぐ洞察に富んだ視線などなど……。

この二人が対談をしたら、大変刺激的な思考とか洞察が得られたと思うが、調べたところそのような形跡はない。二人とも鬼籍に入ってしまった今ではそれも叶わぬ夢だ。

(完)

(追)えーと。今回はこのブログ・タイトルをなぜ『宇宙の中心は勇気だ』にしたのかという言い訳です。もちろん、トピックスが色んなところに飛び散ってまとまりがないので、大きなアンブレラが必要だったということもありますが……。