愛しき動物たち⑦「リス」


リスは日本人にとって間違いなく“愛らしい動物”のジャンルに入ると思う。正式には栗鼠(りっそ)と書きそれがナマってリス。別称で “木ねずみ”で童謡にも歌われていることが日本人にポジティブなイメージをさらに植え付けたのではないと思う。


ゆりかごのうたを
カナリアが歌うよ
ねんねこねんねこ
ねんねこよ

(三番目の歌詞が……)
ゆりかごのつなを
木ねずみが揺するよ
ねんねこねんねこ
ねんねこよ


1976年頃、アメリカの第一夜はワシントンDCのホテル。翌朝ホワイトハウス近くの公園に子供2人を連れて行った。リスが信じられないほどウジャウジャといた。まるで日比谷公園の鳩のような状態なのだ。

軽井沢の林で遠くからちらっと垣間見たくらいのこの動物が目の前に大量にいるわけだから、彼らは「リスだ!リスだ!」と大興奮であった。これらはリスでも地リスのなかまで「グラウンドホッグ」(hogはブタへの蔑称)と言われていて、「強くて多くいるものは愛されない」という原理でアメリカではリスは人々に愛されていない。狂犬病のような忌まわしい病気を持っているとされているのならなおの事である。
つまり、アメリカ人にとってリスのイメージは“薄汚く病気持ちの大きなねずみ”に固定されている。

東海岸のインターステイツ(西海岸のハイウエイ)の両側の道肩にはこの地リスの累々たる死骸が切れ目もなく続いている。何百マイルも何千マイルも……。まるで夜のドライブで、車のフロントガラスに虫たちの亡骸がこびりつくのと同じような事象と人々はコレを捉えているようだ。地リスたちも虫と同様に車のヘッドライトに飛び込んできてしまうのだという。これだけ毎日死んでいても、まったく減らないのはよっぽど繁殖力が旺盛なのだろう。


(←ロスの樹上性のリス)

1994年のころのLAのハンコックパークの家。プールやガレージに続く裏口から電線が見える。その電線をほとんど決まった時刻(朝の10時頃……)にリスが渡って行く。“なるほど。この電線伝いに行けば理論的にはロス市内のどこにでも行けるワケだな”。

電線にたまたま大型の鳥が羽を休めているときがあるが、リスは構わず「どけどけ!」といった感じで追い払って、わが道をいく。あるとき、いつもは道を開ける鳥もその日はどこか虫の居所が悪かったのか、争いになった。五分ほどもしつこくやりあっていたが、ついに鳥の方が根負けして飛び去った。
それからだ。10時頃の“ワタリリス”にその大型の鳥が急降下爆撃を加えるようになったのは……。背中とか尻尾に嘴を立てるのだ。リスも“またかよ?!”といった感じで防戦する。
争っているというよりは戯れているといった風情なのだが、このような異種間疑似格闘技が珍しいものなのか、はたまた、よくあることなのかはよく知らない。

(完)