感傷旅行

人は心が折れるとなぜか北に向かう。青白く弱った心を南の強い太陽で逞しく日焼けさせればいいものだが、自傷的に寒い風が吹き、ときどき雪まで舞い散る北国へと向かう。
そんなことがあったわけではないが、大型台風26号を追いかけるように「北帰行」をした。
札幌である。日本で最も魅力的な街とされている……あの京都を抜いて。
その26号が北海道にまで影響を及ぼし、「北帰行」の定石通りに北海道各地に雪を降らせた。10月下旬近くとはいえ相当に早い降雪だ。

今回の旅の目的は出身高校の同期のゴルフコンペに参加することと、出身中学校の同期会への参加というもの。
前半のゴルフ会にはもう何度も来ているので省く。北海道のうまいものとか札幌郊外の豊平峡の紅葉とかも省こう。札幌の美人たちも省略。

その56年ぶりの中学校の同期会にフォーカス……。
小中高と同じに過ごしてきた幼馴染みの女性のTomoから何度もこの同期会に誘われてはきた。でもなにせ、半世紀を越える空白。ほとんどが忘却の彼方に去って行っている。確かに、その中学校のことは自分の心から捨てていたのかも知れないかった。

「死ぬ前に一度でいいから出ておいで……」

というTomoの口説きに今回はやられた。酷い口説きなのになにやら退路を絶たれてしまった。

札幌市内のホテルの宴会場。早めにホテルの玄関を入ったらなにやらドキドキしてきた。取り敢えずコーヒーハウスでコーヒーを飲み、動悸を押さえる。ソレ!突撃だ。おずおずと遠くから様子を見る。受付に3人、4人。まったくもって知らない顔だ。近づいて名乗ってみるが、みんな“へ?”ってな顔。無理もない。56年のご無沙汰は余りに大きい。
会場に入ると、例の幼馴染みのTomoが和服姿で粋な感じ。隣の席を指し、“あなたはここよ“と引率の母親のよう……。
周囲はみんな見知らぬ顔。怪訝な顔。こちらもケゲンに次ぐケゲン。定刻近くなり、人が集まってくる。全部来ても25名だ。顔がアスファルトのように黒い爺さんとか腰の曲がったお婆さんもいる。
(後で訊くとタマネギ農家を継いだり、米農家に嫁に行った人たちらしい。)
まあ言わば、タイムマシーンの操作を誤って異なる次元へ降り立ってしまって、途方に暮れている感じかな……。
そのとき、ひとりの男から名前を呼ばれた。コイツだけは知っている。

「おっ!“上手出し投げ”のYasuじゃねーか!」

と反射的に応じた。相撲の得意技をオウム返しで言われた事がとりわけ嬉しそうだった。
雪深い冬の間の子どものその頃の遊びは、体育館のバスケットボールのサークルを土俵にした相撲だった。こいつの上手出し投げは強烈だった。

そこへ女性がひとり会場に入ってくる。マドンナだ。彼女だけは名前もフルネームで覚えている。彼女が入室すると同時に、他の女たちの色がすぅ〜っと消え失せて行き、そのマドンナの周りだけが色彩豊かなオーラが立ち昇っている。口を半開きにしたボクのアホ面をめざとく気付いた隣のTomoが……

「彼女今でもきれいでしょ?!副知事夫人を何年かやっていたのよ」
「ふ〜ん」
「話したいんでしょ?次の二次会では彼女の横に席を作って上げるからね……」

持つべきは幼馴染みだ。

masakoさん。中学の頃から美人だったが、現在の方がずっと美人というのが凄い。多分、笑顔の量がそうさせているのだと思う。中学の頃は冷たくお澄ましでツンツンしていた……子どもだもの。今はメリハリのついた笑顔を絶やさない。
それと副知事夫人として公私とも他人から見られ続けたことが、さらに美貌を研磨したのだと思う。

「あなたの美しさの前では皆色を失ってモノトーンになっているよ、ほら!」
「外国が長いとそういうことすらりと言えるようになるの?」
「ううん。美しい花をただ“美しい”と言っているだけ。ドキドキしながらね」

……と佳境に入りかけているのに、あの“上手出し投げ”のYasuが呼んでいる。
後ろ髪を首の骨が折れそうになるまで引かれながら、彼の傍らに行く。
驚いたことに、ワルガキの彼が北海道大学名誉教授というものになっていた。中学校も3年生からの転校生であった彼。 “いじめられて堪るか”とツッパっていた彼とはなぜかウマが合い、よく遊んでいた。その後、彼は違う高校に行ってそこで留年し、さらに違う高校に転校して……

「お前、よく社会のおじゃま虫毒虫にならなかったなァ」
「いや、危なかった。ヤバい橋を何回も渡ってきたのよ」

同期会が終えて、masakoさんとお別れの握手をして、ホテルを出ようとしたときに、Yasuがボクを待っていた。

「飲みに行こうよ」

……と誘ってくれたが、都合がつかないのでまたの機会にと断ってしまった。宿に帰ってのベッドのなかでYasuの顔を何度も思い出した。ボクに断られて寒い札幌の街を去って行く長身の背中の映像が何度も出てくる。
翌朝の8時に彼の自宅に電話した。

「飛行機の時間ずらすから、モーニングコーヒーでも飲む?」

札幌駅地下街のコーヒー店で1時間半、共通言語を互いに繰り出して話に熱中した。が、56年を埋めようとしたが埋まるものではなかった。そもそもが,1〜2時間で埋めるのは無理な注文だ。それにしても凄く楽しい時間であった。英語で言うkeep in touchを約束して別れた。

千歳では羽田行きのフライトをウエイティングする羽目になった。日曜なのか随分と混んでいて4時間ほど待ち続けた。これって通常は辛くイライラするのだが、Masakoさんと“上手出し投げ”との56年振りの「邂逅」がボクをとても上機嫌にしていてむしろ楽しんでいたくらいだ。そして、こんな機会に誘惑してくれたTomoにも深い感謝であった。

自分の番号を呼び出されるのを延々と待ちながら、そんなことを何度も何度も牛のように反芻していた。そのセンチメンタルなメモリーの栄養価を存分に吸収しようとするかのように……。
で、ハタと気がついた。Masakoさんとは中学時代一度として言葉を交わしたことはなかったのだと。それどころか、彼女の半径5メートル以内にも近づいたことはなかったのだ。それがどうだ、隣に座っている彼女の二の腕を“どーよどーよ”などとポンポン!とタップまでしていた。
繊細で無口な少年も56年も経てば、厚顔無恥な生き物になっていたということだ……。キャリーケースの持ち手に体を預けて苦笑するしかなかった。
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この北国へ来るたびに、オレは“はぐれジャケ”だなって痛切に思う。戻るところが解らなくなってしまったヤサグレ。その話を東京の大学を出て、ふるさとの川に戻っていった他の友人にしたら……

「ホッチャレというのもあるぞ」とニヤリ。
「なんだそれ?」
「シャケは海から河口にいるまでが油が乗っていておいしいのね。それが川を遡上し始めると、飲まず食わずで、まあ、体に貯め込んだ油や栄養を使いながら無我夢中で産卵場所まで奮闘する。だから川で穫ったシャケはうまくない。で、捨てるのさ」
「で、放ちゃれと……」

「はぐれジャケ」ならまだいいと。油も栄養も抜け落ちた「ホッチャレ」ってか……。
まあいいさ、動物は皆心臓の鼓動が15億回打つと寿命を終える。それを人間に換算すると48才になるという。だから、今はオツリで生きているようなものだ。いずれにしても“ホッチャレ”なワケだ。
その“ホッチャレ”に一瞬でも若い血潮がドックン!ドックン!と流れた。まったく期待していなかったのに、僥倖のような感傷旅行(センチメンタル・ジャニー)になった。
ハレルヤ!!

(完)

〜高校同期のゴルフコンペで見たナナカマドの紅い実〜