言葉は何を紡げるのか?


池袋東口にほど近いビルの3階だか4階の喫茶店。久し振りの友人と会うので、静かにゆっくり話をしたい。なにかとザワついているコーヒー・チェインを避けたつもりなのに、入った時に“あっ、しまった”と思ったが、“まあいいや”といい加減さと一緒に腰を下ろしてしまった。
結構混んでいる周囲のなか、あれやこれやと昔の話も含めての彼とのよもやま話。
彼の右肩ごしの斜め左前方の若い男女をさっきからちょっと気になっている。なにやらずっしりとした重い空気が流れているし、声も憚っている。こちらからは女性の顔が良く見える。男性は背中だけ。若い恋人同志特有の華やいだものがなく、希望もなく、その席だけがどんよりと黒い雲に包みこまれたように沈んでいる。
と、その女性の大きな瞳そのものが、流れ落ちたかと思うほどの大粒の涙。“滂沱(ぼうだ)の涙”をひさしぶりに見た。
男がベージュのタオルを女性に渡す。
(うん?タオルを都合よく用意してるってか、この男?)
女性はそのタオルに涙を滲み込ませるが、男がなにやらひそひそと話を続けると、また涙を滴らせる。まるで、海亀の産卵のように涙を流し続ける。
……そんなに泣きながらも、彼女は周囲に悟られまいとしているのが、いじらしい。声を殺して泣いている。肩や胸のやや不規則な震えが嗚咽を物語る。
(大声で泣きたいんだろうな、身も世もなく泣きたいんだろう。ここできっちり泣いておかなきゃ……洗い流しておかなきゃならないんじゃないの?)
どんなケリがついたのか(……いやケリなどはまったくついていないはずだ)、その二人が席を離れて立ち去る。

ほぼ真横の植木鉢が乗せてあるパーティションごしの “賑やかさ”に俄かに気がついた。大変な盛り上がりようだ。中年男性ふたりと中年女性がひとり。胸の前ではげしく手と指が動き、顔の表情も千変万化。「手話」である。一人の話に他の二人が前かがみで小さく笑い、時には背中を反らして大笑いしている。ただ、とても静かにほとほと笑う。
「静謐(せいひつ)なる饒舌」
彼らそれぞれがそれぞれにとってかけがえのない大切な人なのだろう。彼らの楽しさとか喜びの波動が空気を伝導して、こちらの脳にダイレクトにパルスを送ってくる。話の内容もわからずに、こちらも幸せになって微笑んでしまう。脳内麻薬のβ-エンドルフィンだかドーパミンが分泌してしまったようだ。



で、言葉はいったい何を紡げるのか?
(完)