ニューヨークで道を訊かれる

多分二度目のNYだったと思う。「タイムズ・スクエア」近くを歩いていたら、小脇に小包らしきものを抱えた白人の青年から突然道を訊ねられた。そう、意表を衝かれた。
“へ、オレに道を訊くのかよ”
って思いながら、
「悪い。オレ旅行者だから解らないんだよ」
って答えた。
「分かった。とにかくありがとう」
と言って先を急いで立ち去るその男の背中を見ながら、“変なヤツだなあ。オレがアメリカ人に見えるか?”と思った。が、その瞬間、“そうか!この国では見かけや顔つきで、そいつをアメリカ人かどうかを判断しないんだ。街角を歩いているヤツ全部をとりあえずアメリカ人と思うことが黙契の国なんだ”って腑に落とした。

ここで生まれ育った人も昨日アメリカ人になった人もみな等しくアメリカ人。もっと踏み込めば、不法滞在でも、長期滞在でもみなアメリカ人。ぜんぶ一つに飲み込んじゃう巨大な坩堝のような国だ。




人類史上、モンゴル人に蹂躙され、仕方なくてなんじゃら汗国人になった人とか、ローマ人に征服されてローマ帝国の属国の人になった人は大勢いるが、このアメリカではアメリカ人になりたい人々が自分の意志でこの国を選んでその国民になっている。こんな国家は人類史上ない。

最近では、さすがに“アメリカ人になる” という手続き・プロセスは厳しくはなって来ている。でも移民を受け入れるというスタンスはこの国の礎と直結した国是に近いって思う。つまり、その事が「中華文明」とか「ローマ文明」などに十分に匹敵する「アメリカ文明」を創り上げ構築して来た“おおもと”だって彼らは肝を据えていると思っている。

モチロン、ディスクリミネーション(人種差別)は絶えない。だが、同一民族国家といわれるところでも、世代間とか収入格差による差別は大いにある。アメリカの人種差別を四の五のいう前に、“自分の頭の上の蠅でも追っていろ!”と言いたい。
むしろ、異質のものへの居心地悪さに対して“奥歯を噛み締めて、 その特質を積極的に認めて行こう”というのが彼らの「教養」になっているように見える。
正しく、「異種混合こそがハイブリットで創造性に富んだ斬新なアイディアを生む」という信心が、この国の最もメジャーな宗教にまでなっているじゃないかと思う。

さらに踏み込むと、移民一世よりも移民二世の方が……、そして、移民二世よりも移民三世の方が“理想のアメリカ人”に近い。(まあ、この国では“理想の国民”というのが常に未来のどこかにある。過去の人物では決してない。)
つまり、じーちゃんよりもその孫のほうが“理想のアメリカ人”に近い。広告のコピーでも常にnewとかyoungとかが強いコピーになるのはここから来る。この国で、newとかyoungとかはいつも正義だ。
だからこそ、アイディア開発でも、起業でも、企業・機関内でも、社会でも……newやyoungな世代が大きな力を持ち得る。

当時、まさに売り出し中であった「ワイデン・ケネディ」という(広告の)クリエイティブ・エージェンシーがポートランドにある。そこへとても優秀な帰国子女の彼女が仕事がらみで出張した。帰国してから彼女から話をいろいろ聞いた。
特にクリエイティブ部門には、アメリカの会社でありながらアメリカ人は少数しかいなく、出身で言えばイギリス、スペイン、オランダ、フランス、ドイツそして南アメリカのスパニッシュの人ばかりだって教えてくれた。
だから、ブレーン・ストーミングになってもまことに刺激的なアイディアの出し合いになるんだと言っていた。


それにつけても、最近の日本の有様はどうなんだ?「神の国」「美しき日本」「江戸しぐさ」「親学」はては「八紘一宇」だよ……。「内向き」「後ろ向き」にのみ偏向していないか?

移民を受け入れないと立ち行かないギリギリのところまで来ているのに、こんな始末でいいの?
精神主義も大概にして、少なくとも日本に現在住んでいる人々にunderstandableな言葉を使わないか?

(完)