生命(いのち)の蜘蛛の巣

日本中の人々を鬱に突き落とした川崎の中三男子の惨殺事件も、そのほとぼりは随分と冷めてきた。
これほど凄惨な結末のイジメの事件も珍しいが、今までもイジメを受けていた児童が自殺したことが明らかになったなどのときにも、“いじめ ダメ ぜったい”みたいな社会的気分が高まるが、それもすぐに元の木阿弥になる。いつも一時的な感情のたかぶりだけで通過してしまう。

どこかで、われわれ人間生活の当たり前の風景というか、“通過儀礼”の一つというような、暗黙の納得とか合意があるのかしら?ってさえ思う。

イギリスの名門イートン校のようなパブリック・スクールでも“恒常的”にイジメがあるって聞いたときに、“あ、やはりこれは人類の宿痾(しゅくあ)なんだな”って思った。

われわれヒト属はサルから分かれての発生から10種くらい数えるらしい。「ホモ・○○」と名付けられるような属になってからでも8代目とのこと。われわれの一代前はネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)で、現生のホモ・サピーエンスとこのネアンデルタール人とが同時に生きていた時代があったという。両種族間で恋も生まれたかも知れないが、むしろホモ・サピーエンスがネアンデルタール人を食べて尽くしてしまったんだろうと思う。食べられて彼らは絶滅したのだと思う。
現在でもチンパンジーやゴリラは人間(ホモ・サピーエンス)に食べられている。

ジェン・グドール女史のチンパンジーに関してのフィールド・サーベイのフィルムをみたとき、チンパンジーが見事なチームワークでコロブスという小型の猿を捕えそして毟って食べるのを観て、“ははーん、ホモ・サピーエンスもネアンデルタール人を食べたな……”と直観した。

ホモ属(ヒト属)は牙や爪を先鋭させることよりも、脳を先鋭化させることで生き抜いてはきた。しかしそれの裏目としては、長らく非捕食者だったと思う。(そのコロブスとかネアンデルタール人が食べられたように……)大型の肉食獣には食べられてきたと思う。それらとの直接対決は避けてハイエナやハゲワシのような「腐肉食動物」であった期間も長かったのではないかと思う。
「人は食べられて進化した」とも言われる。食べられない工夫がホモ・サピーエンスを進化させたというのだ。
“賢い人”であるホモ・サピーエンスは食べられ続けていては、今現存していない。洞穴時代の攻撃性を持ち続け、集団で暴力を操ることによって、かつて餌にされていた大型獣を餌にするようになった。

われわれ日本人へ直接繋がる先祖である北モンゴロイドはヒマラヤの北のステップで来る日も来る日もマンモスを追いかけ回して、それを食料にして生きてきた。そして遂にはその大きな生き物を食べ尽くして絶滅させた。
アメリカ大陸にかつては棲んでいたライオン、チーター、オオナマケモノたちも、ベーリング海峡(ベリンギア大陸)を越えて北・南アメリカ大陸に進出した北モンゴロイドが食べ尽くした。

もちろん、それらの暴力・殺戮は人間同志の争いにおいても普通に使われてきた。
今現在でも世界の各地で戦争・戦闘のカタチをとった“人殺し”は日常的に行われている。
「人を一人殺せば殺人だが、数千人を殺せば英雄だ」というダブル・スタンダードの扱いにいつも困惑する。困惑しながらも、並立させているのがわれわれの現在の文明だ。


私たち個々人の先祖もそういう“黒い血”を発揮して、動物や人の命を殺め自らの命を保持して来た。だからこそ、今のわれわれが今世紀ここに生存しているのだと思う。……つまり、それぞれの代を溯れば自分のどこかの先祖は殺人をしている……少なくとも酷い暴力の行使をしているということだ。一万年前かも知らんが。

そして、この暴力・殺戮のミニマムな形が「イジメ」と称されるものなのだと思う。

“職業的・犯罪者的イジメ屋”というのは、クラスには必ず1〜3名はいる。こいつらを矯正することなぞ無理。社会にも矯正が無理な犯罪者っているのだから、それと同じ%が教室にも分布しているということだ。

ここでさらに鬱にさせてくれるのは、その「イジメ屋」とか「ゴロツキ」というのはわれわれの“黒い血”のニコゴリなんだという推論だ。
「全体は個であり、個は全体である」というホロニック(holonic)的思想で言えば、彼らはわれわれ自身でもあるということに落ち着く。
われわれの血の中にも15分の1や30分の1は“黒い血”が流れているわけで、その15分の1の黒い血液だけを煮詰めたニコゴリが加害者の少年そのものだということになる。

さらに踏み込んで。
全国の会社や組織体で日常茶飯事的にある「イジメ」やソレがちょっと“大人っぽく”アレンジされた「パワーハラスメント」についてはどう処置していくのだ?日本の社会のなかでは、「パワハラって当たり前じゃないの?」って認識が平然としてありつづけているのだけど。
大人の世界で解決の根絶もできていないことを、子どもたちの「イジメ」のみを咎めることは出来ない。

もはや、これらのことを仕方なく“環境”として認めていくか、はたまた“リンチ”や“復讐”で応報していくのか……。


「生命体としての人類の進化のメカニズムー突然変異を取捨選択して自然淘汰してゆく—はもはや働いていない。むしろ新たに突然変異によって生じた好ましくない遺伝子が淘汰されず人類全体の中で累積する逆淘汰すら起こっている」
とまあ、空恐ろしいことをスティーブン・ホーキング博士が仰っている。悪しき遺伝子が支配する世紀がやってくるってことだよね、これは。

人類はどこに雪崩落ちて行くのか?
ネオ・ホモ・サピーエンスの出現を待つのか?


ワシントン州の「シアトル」の名前の謂われになった「シアトル大酋長」の言葉。彼は大いなる詩人で哲学者でもあったのだが。
その彼の言葉をもう一度胸の奥に深く沁み込ませて置く必要がありそうだ。
少なくとも、“それまでの間”は……。


「私たちは知っている。
血が人をつなぐように、
全ての存在は蜘蛛の巣のように
結ばれ合っている事を。
人はわずかにこの生命の蜘蛛の巣の一筋の糸でしかないのだから、
この蜘蛛の巣を織り出す事なんてできはしない。
生命の蜘蛛の巣を傷めることは、
つまりは自分自身を傷めることになる」




"Man did not weave the web of life - he is merely a strand in it.
Whatever he does to the web, he does to himself."
Chief Seattle, 1854.

(完)