『永続敗戦論』感想

この本はまず……

《「私らは侮辱のなかに生きている」

2012年東京代々木公園で行われた「さよなら原発10万人集会」において大江健三郎は、中野重治の言葉を引いてそう語った。この言葉が3.11以来われわれが置かれている状況を見事なまでに言い当てている。》
で始まり、
《……3/11以降のわれわれが、『各人が自らの命をかけても護るべきもの』を真に見出し、それを合理的な思考によって裏づけられた確信へと高めることをやり遂げるならば、あの怪物的機械は止まる。なぜならそれは、われわれの知的および倫理的な怠惰を燃料としているのだから。》

で締めくくられている。

このふたつでこの本を大きく要約できる。           

“われわれは知的もしくは倫理的に怠惰で来てしまったので、その結果として侮辱され続けているんだ”。

なぜそうなってしまったかを理解する“補助線”というのが「永続敗戦」というコンセプトだ。



この国の権力構造は、まさしく「侮辱の体制」であり、われわれはそれにずっとナメられてきている。バカにされてきている。その体制こそが、後段でいうところの“怪物的機械”であり、この本のタイトルの「永続敗戦」を指している。
じゃ、その「永続敗戦」ってなんだ?
「やれば必ず負ける」と各界の権力者・識者全員がほぼ全員理性の上では承知してながら、太平洋戦争に突入した。
日本人300万人、中国人1000万余人、その他の国の人々……を犠牲にして戦い、いよいよ「一億玉砕」の本土決戦を前にしての原爆二発でやっと降伏……いや「終戦」になった。



終戦」?
敗戦の隠蔽であり、敗戦の否認である。
「敗戦」「敗北」「降伏」の代わりに「終戦」と呼び、「占領軍」ではなく「駐留軍」などと呼ぶ。これらはすべて“敗北を抱きしめない”ための工夫であった。
そして、この本のなかでやや遠慮がちに記述されているが、サンフランシスコ講和条約と同時に調印された日米安保条約で米軍の駐留をもっとも希望したのは、ほかならぬ昭和天皇その人だ。共産主義勢力の外から侵入とウチからの蜂起に怯え、ときには吉田首相やマッカサーを跳び越してまで、米軍の日本駐留の継続を訴えた。   膨大な犠牲者を出した上に負け戦に終わったことの責任をとらないばかりか(退位さえしなかった……)、昨日まで戦っていた敵国に取り入り、その敵国の軍隊が居残る事を進んで促した自己保身の人物とその取り巻きで権力を戦後も移行してきた連中……

大岡昇平が『俘虜記』などで芸術院会員に推挙されながら、太平洋戦争で捕虜になったことを理由に断った。だが真意は、昭和天皇に暗に発した「恥を知れ」であった。)

つまり、「戦争には負けなかった」。だから従前の権力構造がそのまま温存された。あのときのアメリカの国家としてのニーズと合致するカタチがそれだったのだ。(この“帝国”は南米やいろんな国でこの“傀儡政権”を都合良く作成することをやってきている。)このときに著者のいう「永続敗戦」というフォーマットが決まった。

「永続敗戦」とは、敗戦を否認しているゆえに、際限のない対米従属を続けなければならず、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる。
爾来、「我が国は立派な主権国家であると」と言いながら、それは真っ赤な嘘であることを無意識の水準で熟知している。つまり、傀儡政権であり続けて来た。

民主党鳩山首相の人格とか力量がいかばかりであろうとも、「傀儡の分際でいい加減にしろ!」と「アメリカの圧力によってクビになった」という出来事なのだ、アレは。(メディアも盲いているので、そうは書かないが……)

文頭の「侮辱の体制」ということは表裏一体で言えば「無責任の体制」ともいえる。
福島第一原発事故を一つみても「想定外」「収束宣言」、「無責任体制で生んだ事故を無責任体制で解決しようという虚しさ……」「東電がいまだに存在しているという不思議さ」さらに「仮設住宅に住んでいる人がまだいるというのに、官による“復興予算の流用”」……

こんなことは類挙にいとまがない。
「構造的腐敗の極み」なのだ。
本来国家権力の監視機能を有するべきマスメディア、大学・研究機関も例外ではない。

明治憲法から平和憲法に乗り換えたのだが、権力構造はさほどの変更もなしに“在版”で行ってしまった罪は大きいのかも知れない。いや、シリアスに大きい。つまり日本人が国民的に体験しそこなったのは、<各人が自らの命をかけても護るべきものを見出し、そのために戦う(もしくは戦わない)と決意する>ことだ。

こういう捻くれて拗くれた知性もしくは倫理の使いかたを70年もやっていると、すべての様子がおかしくなってくる。

この本は2013年3月の上梓だから川内原発の再稼働や新安保法案などを下敷きにはしていない。
だが、最近の「原発の再稼働」「憲法9条解釈改憲集団的自衛権」「日本の国会より先にアメリカ議会での新安保法案の約束」等々の不条理さ、無責任さ、侮辱のされかたもしくは不気味さ……などが「永続敗戦」という切れ味のいい包丁できれいに三枚に下ろす事ができる。

でもどうなんだ?これをテキは70年も続けて来ている。戦前の「国体護持」の中心は天皇だったが、「終戦」以降の「国体」は「永続敗戦」だという。もしくは「アメリカ隷属」、がんばっても「親米」だ。

その上、著者自身が「国民各人が自らの命をかけても護るべきを見つける」ことに相当に深い絶望を感じてもいるようだし……。

(完)