真狩村

もう6〜7年も前の6月。千歳空港に降り立ったときには雨。小糠の雨。翌日までなんのプランもない。
とにかくレンタカーを借りる。南に下って苫小牧。その太平洋岸に沿って西に。雨が止めば、次はミルクを溶かしたようなガス。“今日は適当なところへ逃げ隠れしようかな”と思っていると、室蘭を過ぎるあたりでにわかに日が射し込んで来て、青空まで見える。

蝦夷富士といわれている羊蹄山の麓の真狩村に「マッカリーナ」というレストランがあると友人が推薦してくれた。名前はイタリアン風だがフレンチ。しかし電話すると、すでに予約で埋まっていて、そのカリスマシェフのゲイジュツを賞味することは叶わないらしい。
……が、縁である。「マッカリ」——多分アイヌ語である。その借景に壮大な羊蹄山を持っている真狩村に取り敢えず行ってみよう。白紙の予定表に、やっとスケジュールが入った。それっ!
車の影をほんのたまにしか見ない高速道路を軽快に飛ばす。と、バックミラーにパトカー。スピード違反だと。やたら慇懃な警官がふたり。

「ここは制限速度70キロです。あなたのは92キロ。申し訳ありませんが、違反金は15、000円になります」

(高速道路で70キロだと?ふざけるな!でも、ここは日本だ。それにしても、こりゃ罠を掛けられたワケだなぁ……)

「今日千歳に降りたのですか?函館くらいまで行かれるんですか?」

(余計なお世話だ。お前らアキンドか?)


ほんのちっぽけな出来事の後、豊浦というところで“ハイウエイ”を降りて、まっすぐ北上。いよいよ真狩村に向かう。
本来であれば、この辺りから羊蹄山の威容が見えるのだろうが、ガスっていて何にも見えない。田んぼはなくイチゴとかユリネだかバレイショだかの畑のみが延々と続く。

村の中心部というのに人は誰も通りかからない。猫の子一匹も人ひとりもだ。いやはや……田園である。だが、吉幾三の村よりはいい。電気も水道もある。

やることが何もない。北関東の若者が「イオン」ぐらいしか行くところがないのと似て、この村では「ローソン」くらいしか行くところがない。水を求めたついでに、店員に“観光スポット”を念のために訊いてみる。

歌手の細川たかしはこの村の出身であるという。じゃせめて、彼の「記念碑」でも見て行くか。

この碑の左手には彼の生家があったらしいのだが、今はただ一面の茫漠たる畑になっている。さらにその右手には彼がかつて通っていた小学校が廃校になったまま、老残の身を風雨に晒してながなが横たわっている。


もう一つのスポット。細川たかしの「記念像」がある。

「毒を食わば皿まで」である。そこにも行ってみよう。小川に毛の生えたような「真狩川」を背にして“オラが村さのヒーロー”はすっく!と立ち、マイク片手である。その立像の横のボタンをポンと叩いてやると、唄を歌い始める。名曲『北酒場』を……ポン!

川のほとりに黄色のレンゲツツジがひとつふたつぽつりぽつりと淋しげに咲いている。その川の水面を細川たかしの脳天気な明るい声が突拍子もなく渡っていく。場違い。ポカンとして虚しくてそして哀しい。
聴いているのはわれわれ二人だけ。
長い髪の女もいないし、お人よしの口説かれ上手もいない。女を酔わせる恋なんか全然あるはずもない。
イジワルで肌寒い北の国の風が“なにゆえキミたちはここに?”と質してゆく。


冷えた身体とアンニュイと暗愁を温めに村の食堂に行った。
フレンチ変じて「ユリネ入りの蕎麦」になってしもた。
だが、存外にいけていた。

(完)