走狗

北海道の高校時代、学校に行く途中に彼の家があったので、声を掛けて一緒に通学していた。それぞれが東京に出てきたが、学校は異なったので、それほど行き来したワケではなかったが、彼がマルクスレーニンの思想に通じていたので、何度かお茶をしてレクチャーのようなものを受けた。

大学4年の冬に近い秋の頃、久々に彼からの電話が下宿にあった。

「キミ、就職は?」
「うん。あの広告代理店に行くことにした」
「ふ〜ん、あそこか。君も遂に資本主義の走狗になるのか……」
(“走狗“と来たか!まあ、ポチのようなものだけど……)
「すまねェ〜」
……と思わず、謝った。
「まあ、いいさ。気にするな。じゃな」


その電話から、50年以上も経って、彼が見つかった。
その高校の同期会をやっているのだが、それを一緒にやっている共同幹事がネットで彼を見つけた。ほとんど銅鐸の発掘に近い。
11月末に予定されていた同期会には、彼も53年ぶりにみんなの前に現れるという。“過去からの帰還“のようなもの。

共同幹事が“発掘“したきっかけは彼の本であった。2003年に『山頂渉猟』という本を出版していた。卒業後出版社に就職して、そこが山関係の本を出していてその担当になったことがきっかけになったらしい。
日本には「百名山」と称されるブランドの山々があるのだが、彼は無名であっても2000メートルを超える山々を“渉猟“したという。その数は642山。(その後さらに30山を加えた)

残念ながら、自分自身は登山というものには全く関心がない。井上靖の『氷壁』と沢木耕太郎の『凍』(世界最強と謳われた山野井泰史そして山野井妙子夫妻)の本を読み、自分が全く知らない世界に命を燃やす人がいるのだなァと長嘆息したものだ。それが登山に関する自分の全ての知識である。つまり、何のリアリティもないままなのだ。



30人もの同期が集まり、幹事としてバタバタしていたので、彼ともゆっくり話す間もなかった。
そして、同期会の何日か後、その彼から『続・山頂渉猟』(2015年11月刊)が郵送されてきた。これは1900メートル級であるとして183山の渉猟の記録。



これって、多分、ものすごいことなんだと思う。が、私にはそれを判断する経験もなければデータもない。
とにかく、50余年のうちに、こちらは「資本主義の走狗」になり果て、彼は「山の走狗」になり果てていた。

書斎の本棚の一隅に差し込まれている彼の『続・山頂渉猟』を取り出して時々は眺めるのだが、門外漢には手に余る。しょっちゅうノッキングを起こし、相当に手こずっている。
はてさて、どうしたものだろう?

(完)