春は残酷な季節です

世に言うところのアラサーの女性とランチをした。

彼女と最初に会ったときの印象は、控え目でありながら微笑みがよく似合う美人というものだった。
しばらく音信が途絶えて数年後に再会したときには、デザイナーになっていた。
その種の学校を出たわけでもなかったので、プロとしてやっていくためには密かな刻苦勉励があったのに相違ないと思ったが、それはこっちの勝手な推量であった。多くを語らなかったけれど、もともと絵やイラストレーションが好きだったので、編集という職場のニーズに応えて自然とそうなってしまったという風情であった。

それだけではない。数年前にはまとまって話をすることがなかったのでまったく気が付かなかったことを発見する。会話をしていて、鋭い洞察に驚くことが度々であった。勉強は嫌いだったと言っていたが、地頭のよさには密かに舌を捲いていた。

そして、不意を衝かれたのは、彼女はいつの間にか、休日は山歩きや渓谷歩きをする〝山ガール〝になっていたことだ。

「……だって、あんなに美しいものってないんですよ」
東山魁夷が『人の心理とか感情の入っていないで、美しい風景とされるものはない』って言っている。それだよ、キミの気持ちが風景を美しくしている」
「そうでしょうか?」


(その彼女が撮ったフォト。冬にちょっと前の晩秋の枯木立。この青に転んだ幽玄な色感から東山魁夷を思い起こした。)


そして、春にはくにへ帰るという。幼馴染の同級生から結婚をと申し込まれているのだという。(その彼の家は犬の散歩の途中にあると笑っていた。)
母親からの帰郷の懇願もあるらしい。
相手は親父の会社を継ぐことになっているという。

「ほう!玉の輿っていうヤツだね」
「まだ決めたわけではないのですし……」
「代継ぎの惣領との結婚といえば、華燭の典になるよね」
「そういうのがイヤなんです」
「彼のお嫁さんになるんだから、親戚や取引先の人たちに披露されるわけだよね。ビジネスって割り切れないの?」
「う〜ん。もちろん、子供は欲しいのです。でも、そういう虚しいのってダメなんです」
「世の中でお嬢さんたちが言う“勝ち組“になるんだよね……」
「結婚する・しないで“勝ち組“・“負け組“っていう価値観がよく分からない。そういうことを言う女性って、なんなんですか?」

……という具合に、こちらの手垢にまみれた世間知恵のようなものは、真綿に包まれながらも、その上からハンマーで打ち据えられて粉々になる。石灰の粉のようになってしまっているのに、どっこい気持ちがいい。

こういう女性が増えると、日本もいい国になる。


「くにへ帰る前に、もう一度くらい会えますか?」

……彼女が東京からいなくなる。


「春は残酷な季節です」

……まるでスパゲティーに振りかけられるタバスコのように、4月になるといろんなところで引用される長い詩の頭の一行。
本当に酷く長い。ここでは七行のみを。

ーーーーーーーーーーーーーーー

4月はいちばん残酷な月
死んだ大地からライラックを育て
記憶と欲望を混ぜ合わせ
春の雨で鈍い根を搔き立てる
冬は何でも忘れさせてくれる雪で地面を覆い
干からびた球根で小さい命を養いながら
わたしたちを暖かく保ってくれた
(TS・エリオット:『荒地』)

ーーーーーーーーーーーーーーー

(完)