Mt.シャスタ

2012年10月頭のLA。ベバリーセンター近くのホテルで友人夫婦を待っている。1993年〜1996年にはこの街で暮らしていた。その当時は休みの日といえば、彼らとツーペアでよくゴルフしていた。6年前の2006年にこの街に来た時にも連絡したが、ご主人の方が直腸癌と闘病中であり会うことはかなわなかった。それももう癒えたということで、食事をしようということになった。
ご主人は日本のアニメをこのアメリカやヨーロッパのテレビ局やシンジケーションに販売する仕事をしている。ラスベガスのコンベンションとカンヌのメッセが彼の主戦場であった。モチロンのこと、英語もフランス語も堪能であった。

やがて大ぶりなレクサスRXが現れた。二人とも何も変わっていない。ウィルシャーをサンタモニカ海岸の方に行った彼らの贔屓の寿司屋に行こうということになっている。ボクは後部座席に乗り込む。奥さんが運転して、助手席にはご主人。

「Eさん髪の毛黒々ね……」
「はい。放射線治療で白髪まじりが全部抜けて、イキのいい黒髪が生えて来たからなんですよ」

なんて軽口を叩きながら……

「そういえば、NYの映像制作プロダクションに行ったお嬢さんはお元気ですか?」

と言った途端走っているレクサス内が凍りついた……ような気がした。その瞬間冷凍された空気の中での沈黙が30秒も続いたような気がしたが、恐らく5〜6秒だったんのだろう。その身動きもとれない縛り付けられたような地縛霊状態から藻掻いて抜け出るが如くに、二人が同時に同じ言葉を振り絞った……

「死にましたッ!」
「死にましたッ!」

「……え〜〜ッ!!」

人が人に息子や娘の消息を訊くのは、時候の挨拶くらいの軽い“社交辞令”に属していると思う。それが“重い”カウンターブローで返ってきた。思わず知らず地雷を踏んでしまったのだ。

そのお嬢さんはマサチューセッツ州のメドフォードにあるタフツ大学(全米トップ20にランキングされていて日本人では村上春樹や森本防衛大臣が卒業生になる)出てNYの番組プロダクションへインターンに行ったというタイミングでボクはLAを後にしている。
その後……、彼女は優秀であったのですぐにフルタイム(正社員)になり、エディターとしての道を歩み始めた。PBSDiscovery Channel,WGBHなどでOAの番組が多かったようだ。「エミー賞」(テレビ番組の“アカデミー賞”)に何年もノミネートされ続けていた新進気鋭になっていた。同時に体を動かすことが大好きなアスリートで、合気道も長年やっており、登山というか山歩きも好きであり、モンブランにも登頂している。2,008年11月28日に友人2人とともにカルフォルニア州の北でオレゴン州にほど近い「シャスタ山」に登頂を試みてたが登山道から滑落して岩に何度も激突しながら平らなところで止り他の登山者に発見されたが、その時にはもはや手の施しようがなかったらしい。
その事故から丸二日、何も知らない奥さんの携帯電話に娘のCherryさんの携帯からの連絡が入った。あ、Cherry…と思って出ると男の声であった。
マウントシャスタの写真
マウントシャスタ (トリップアドバイザー提供)

「Cherryさんの母上ですか?私はシャスタ山のシェリフの●●というものです。Cherryさんは3日前滑落して頭に大怪我を負って絶命をしました。彼女が残した携帯からやっとのことであなたを探しだしたのです……」

“はい、そうですか”と簡単に納得できる話ではない。これは悪い夢だウソだと夢遊病のような状態のままで、遺体の引き取りなどの話をしたという。我に返り、夫にそしてCherryさんの兄のYoshiに電話をして「Cherryが死んじゃった。シャスタ山で……」と話をしていたら、突然電話が切れたという。後ほど聞いたら、妹と大の仲良しではあり、同時に彼女のパフォーマンスに追いつき追い越そうと思っているライバルでもあった彼にとっては、余りの大きな喪失感と慟哭で失神してしまったのだという。
【Cherry Enokiさんのこと】http://www.current.org/wp-content/themes/current/archive-site/obituaries/obit0822enoki.shtml(この“過去帳”にはチェリーさんことチヒロさんがいかに周囲から愛されていたかが窺い知れる記述が続いている)

これらのことをサンタモニカ・ビーチに近い寿司屋のテーブルで聞いている。奥さんがナプキンで溢れ出る涙を拭いながら一心に話をしてくれいる。ご主人の方はほとんど無言で凝然と脇に座っている。何かを口にした途端に涙になるので、言葉を押しとどめているという風情であった。
4年の歳月がやっとこのように話しできるようになったのだと彼女は言った。そう、思い出を語ってあげることがCherryさんへの供養だし、ボクにとっては二人の話を聞いてあげることが結局は彼女への供養なのだ……。

   §   §   §   §   §   §   §   §   §   §

あれッ……先程からなんだか引っかかる。“オレゴンに近い北カルフォルニアの山”……ひょっとして。

「そのマウント・シャスタって先住民族の時代から霊山とかパワースポットとか言われていませんか?」
「ええそうです。アリゾナ州の『セドナ』などと並んで“聖なる山”とされていますよ。私も今回の娘のことで何度もシェスタへ行きましたが、ヒーリングを求める人々が大勢いますよ」
「ああやっぱり。ボクの娘は今そこに滞在していると思います」

帰国してから家の者に確かめたところ、間違いなかった。我が娘はそこからいったん日本に帰ってきた。マウント・シャスタの中腹(サンジェルマン)にひと月近く家を借りて住んでいたとのことだった。身の丈2メートルほどのブラックベアには遭遇して逃げ帰ったたらしいが、余りに寒くて山には登らなかったと言っていた。
マウント・シャスタの地下……五次元らしいが……に住むレムリア人にも遭遇はしなかったらしい。

(完)