カタバミ  

ソメイヨシノの咲き始めた頃。
駅へ続くコンクリートの歩道の上に5㎜ほどの黄色い花が頼りなげに咲いていた。カタバミの花だ。「片喰」と書いたりもする。


柔らかな土のベッドもなく、氷のナイフのような寒風、アスファルトも溶ける炎暑……そして気まぐれな時折の雨露だけ。
そんな苛酷な環境のなかを生き抜き、子孫を残すため花を咲かせている。この営みを見たときには思わず胸が熱くなった。

この耐久力の高さ、繁殖力の粘着性、逆にいえば……根絶させることがほぼ無理という強靭さ。それゆえ、このカタバミがデザイン化され武門の紋所に多く採用されてきた。

——こんな地味な花をわざわざ取り上げて意匠にする民族もなかなかいない。











もともと鎌倉武士の出自は東国の開拓農民。我が身我が家を存続させるためには、荒れ地にへばりついて脇目もふらず開墾するしか術はない。このことを「一所懸命」といった。(「一生懸命」は、まあ誤用……)
そのコンセプトとカタバミのさりげないのにしぶとい生き様が重なった。何が何でも生き抜いてゆく。



「知らぬうちに花が咲き、花が散った。いつの間にか若葉が萌え、夏がきた」
浅田次郎

そう。厚い雲の上にはもう夏が待機している。
そして、あのカタバミはいまだにそのささやかな花を順繰りに一生懸命に咲かせている。

(完)