「引き寄せの法則」ってなんだ?

世に「引き寄せの法則」というものがあるらしい。
いわゆる啓発書っていうもの。この類は最近では全く読まない。遠い以前は何冊か読んだ。でも、「啓発本」で“啓発“されたことなんかこれまで一度もないからだ。本屋でコレを見かけたとしても、“またかよ、チッ!“って心で呟いて通り過ぎたと思う。

誰かの言葉だったと思うが、

「目標を立て願ったからといって、そこへ到達できるかどうかはわからない。だが、願わないで立ち止まっていては、可能性はゼロだ」

がストン!と腑に落ちる。おっしゃる通り。明確にゴールを設定し、的確な方法論を考え、刻苦勉励する。それでも、到達率は高くはない。ラックとかタナボタってそうそうはない。でも、願わなければ、何も始まらない。

また、伝説の独学の学者エリック・ホッファーの言葉も一種詩的でステキだ。

「史上しばしば、行動は言語の反響(エコー)であった」(『情熱的な精神状態』)

これは、われわれの人生で幾度かは経験してきたことなので深く頷く。
獲得したい像(イメージ)をクリアに言語化をする。その言語が脳内の“エコー・チェンバー“で、いつも木霊している。それにいざなわれて行動に移される。

ところで、これって「言霊」と置き換えてもいいんじゃないか?と思う。
われわれの文化には「言霊」信仰があるし、それが古代ギリシャ語のlogosとも大いに重なり合う。かの如く、いろんな民族それぞれがまるで「意伝子」(「ミーム」:リチャード・ドーソン)で伝播したかのように“言葉の力“や“念ずる力“の信仰を持っている。

さてと。
心理学者は“願う“とか“念ずる“ということを「意識」と普遍化して考える。
「意識したものだけ、情報として入ってくる」。われわれの脳はそのようにできている、という。

こういう情報社会に生きているわけだから、自分の意識の方向をちょっと移動するだけで、……つまり、アンテナの指向性を狭く鋭く設定すれば、自分にとって必要な情報が雪崩れを打って入ってくる。そして、その玉石混交をふるい分けるフィルタリングさえ間違わなければ、自分なりの考察、洞察、思想を一次元以上アップして構築できる。そして、そのコンセプトをもって行動に移す。
たまたまハウジングメーカーの担当になった時、それまで一切目に入らなかったその関連の情報とか広告がわんさと音を立てるように目に飛び込んできて立ち眩みするくらいな経験をしたことがある。
ま、これが“引き寄せ“と言えば言えるかもしれないのだが。そこまででいい。それに精神主義とかスピリチャルが含まれたり加わってくることにはぞっとしない。そういう怪しげなものでシュガー・コーティングしてくれなくていい。

学生時代から論理とか唯物論に馴染んできたので、こういう類の唯心論にはどうしてもいかがわしく感じるタチなんだなぁと自己分析はしているんのだが……。
いずれにしろ、日本の諺で「類は友を呼ぶ」「噂をすれば影をさす」「笑う門には副来る」などなどがあるが、「引き寄せ」などと大上段に振りかぶらなくてもこれくらいでいいんじゃない?

ま、アレだ。「精神主義」とか「根性」とか、もしくは「スピリチャル」ってことが蛇蝎のようにキライなんだと思う。

『心でっかちの日本人ー集団主義文化という幻想』(山岸俊男)という「いじめ」を解析した本がある。見事な良書である。このタイトルの「心でっかち」というのは山岸さんの造語である。もちろん、「頭でっかち」の反対語である。「頭でっかち」が論理、考察を第一に物を考え過ぎるということとするならば、「心でっかち」とは情緒とか精神論で考え過ぎるということになる。つまり、

「なんでもかんでも心の問題にするな。原因は構造にある」

というのが彼の警告である。

加えて最近、ラノベの作家だという 永島裕士 (@BSJokerT2CRX) さんがtwitterで次のように呟いている。
「本当にやってる人間、取り組んでる人間っていうのは具体的で物質的な話をするんだ。なぜなら世界は精神じゃなく物理で動いてるから。ごく当たり前のことなんだけど、これがやってない人間には分からないし、分かってても語るべき情報もノウハウもないから話す内容がどんどんスピリチュアルになっていく」(May 17, 2016)

まったく、その通り。

……と、ここまで「引き寄せの法則」関連の本を一冊も読んだこともないのに、この“法則“について“いかがなもの?“というスタンスで書き進めてきた。この“法則“から何らかの火の粉が我が身に降りかかってきたわけでもないのに……。加えて、とんでもなくアサッテの方向への“文句たれ“を言っている気もしてきた。
この「引き寄せの法則」を信じたり、ノウハウを日常に取り入れたり、ゴールに到達すべく精進している人を非難とか弾劾する気はさらさらない。「信じるものは救われる」ということだけでも尊い。……多分。

それにしても、福島原発事故で家を捨て避難した人、熊本地震で家の下敷きになった人に、「引き寄せの法則」はどういう説明を用意しているのか?どういう因果を引き寄せたのか?ぜひ、聞いてみたい。
「人を呪わば穴二つ」とか「泣きっ面に蜂」とかは言わないんだろうね?

 (完)