“ポエム化”そして“ポエマー”

“ポエム化”

“ポエム化”というキーワードで日本の社会を鮮やかに袈裟懸けに斬り下げた小田嶋隆氏が『日本ポエム化現象の謎』という記事を「東洋経済オンライン」に連載したときの最初のページがこうであった。

「日本中が“ポエム”であふれている。『夢』『勇気』『仲間』『絆』『寄り添う』『イノベーション』──。何かを語っているようで何も語っていない抽象的な言葉が、政治やビジネス、ネット、J-POP界隈に蔓延している。世の中はいつからポエム化し、人々はポエムに何を求めているのか?ポエム化現象のナゾを……解明していく」

他の人からも……

「ポエムを持ち出すことによって、辛い現状や弱い自分から目をそらせようとしている。現実をみないようにしている」(今野晴貴NPO法人POSSE代表理事ブラック企業対策共同代表)

「いい年した大人がボンヤリした夢だ希望だと声を上げるのは、あまりにも幼稚。今後ポエム化が進めば、年齢は大人なのに精神的には未熟なひとがますます増える可能性もあるでしょうね」(阿部真大社会学者)


「詩」と“ポエム”の違いは?


「詩」と小田嶋氏がいうところの“ポエム”とはどこが違うのか?

  彼は以下のように定義している。

<鑑賞される作品として作られて、作品として読まれているものは、出来不出来はともかく、「詩」。
一方、本当は詩ではないものを書くはずだったのに、舌ったらずで、文章の技巧がなくて、結果的に生まれてしまったものは、「ポエム」。加えて、何かをごまかすために意図的にぼかした文章も「ポエム」>
その典型的な例として「オリンピック招致委員会」のノリト。これでも国民に向けて説明しているらしい。

今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。
オリンピック・パラリンピックは夢をくれる。
夢は力をくれる。
力は未来をつくる。
私たちには今、この力が必要だ。
ひとつになるために。
強くなるために。
ニッポンの強さを世界に伝えよう。
それが世界の勇気になるはずだから。
さあ、2020年オリンピック・パラリンピックをニッポンで!


“夢の力”が欲しいんだってさ。 ……見事に何も言っていない。

このビョーキは予想以上にいろんなところへ蔓延している。

「新築分譲マンションのチラシ」:

「天空に舞い踊る星々のトレモロ。人々の営みを物語る地上に散りばめられた灯火のロマネスク。あるいは、早朝のまどろみから朝日に洗われつつ姿を現す都会のエクリチュール

あの「朝日新聞天声人語」でさえ。(2014年5月28日付):

「『ウクライナ』という柔らかい響きからは、かすかな麦笛を聞く心地がする」

やれやれである。
すべての文学的なジャンルに君臨してきた「詩」=「ポエム」も酷く様子がおかしくなったものだ。こういう使われ方されるとは思っていなかっただろう。谷川俊太郎さんやアルチュール・ランボォも眉を曇らせ肩を落としていることだろうな。


“ポエマー”の発生


考えてみれば、“様子がおかしく”なったそのはじまりは、いわゆる“ポエマー”の発生以来じゃないのかなって思う。
 “ポエマー”というのは女子中・高生に発病率が高く、時には大学生になってもこの病気を持ち込み、果てはアラフォーのおばさんになってさえもblogやFacebookで妙な物を排泄している。病は膏肓に至っちゃっているのだ。
解っている人には言わずもがななのだが、“ポエマー”の技法は耽美的詩的な言葉の羅列がそのレーゾン・デートルなので、意味とか文章の方向性はただただひたすらに揺蕩う。迷走する。何を言いたいのかよくわからん。
英語のpoemに対して詩人はpoetという。ワザと誤用して“ポエマー”としているのは“シャネラー”“アムラー”などに似せた語感にして蔑んでいるワケだ。


3・11と“ポエム”


それがどっこい女性専科ではなくなってきた。
3・11の時には「被災地に寄り添う」や「想いを一つに」だの「絆」だの……散々だった。サントリーの「上を向いて歩こう」なんぞは“ボエム”の恥ずかしい典型的なサンプルでしかない。
このあたりから軌を一にして“ポエム化”が社会的な現象になってきたんじゃないかなって思う。「女もすなるポエムというものを男もすなるなり」だったんだよ、きっと。(すみません。何のバックアップデータもありません)


出所不明さと“ポエム化”


これに加えて、誰かが言っていたが、……

「最近の傾向として、ブログなどで、知らない事を知らないままで書き進んでそれを恥じない……そんなものでいいのだという雰囲気が醸成されている」

そうなんだ。何のバックアップする資料もなく<〜とボクは考えているんだよね>とか、<今ボクたちはどこへ向かおうとしているんだろう…?>という結論放棄の垂れ流しがまことに多い」
(まあ、記事とブログは違うことを読み手も明確に認識するべきだという論はあるが……)

コチトラ、“お前の考えなんかタカが知れている。訊きたくはない”
“悩んでいる振りして終しまいかい?”と毒づくのだが詮も無い。
さらに始末に負えないのが、そういう風に悩むボクも、こんな指摘を出来るボクもカッコいいだろ?ってむんむん匂うことだ。もう50も過ぎているのだからみっともないよ。専門外の素人が……生兵法はヤメなよって思う。

これらの出所不明さと“ポエム化”は相性がいいらしい。
所詮“ポエム”を書いているぐらいなので、大した覚悟があるわけではない。炎上したりすると怖い。そこは女子高生の“ポエマー”に似て曖昧模糊で官能的な語尾を駆使するに限る。攻撃する方もうねってたゆたっている論旨に槍を繰り出せないままになる。もしくはその価値も無いと思われて攻撃の的にはならない。

でも、知性は量られている。

「つくづくネットは誤魔化しの効かない丸裸メディアだと感じます」
藤田晋

せめてパンツくらいは穿いておこうよ。

(完)