聖なる踊り子

「牛に連れられて善光寺詣」の如く、渋谷のCafe Boemiaへ出向いている。
 ベリーダンスを見に行こうと歩いている。ベリーダンス?うむ。エジプト…中東…ジプシー(ロマ)…マタ・ハリ…官能と倦怠…というちょっと怪しげな連想のみが湧いてくる。
確かバルセロナだかで一度は観ているはずなのだが。
牛では決してない若くてハンサムな弁護士とともに歩いている。彼の女友達がやはり弁護士なのだが、これがまた聡明な上に綺麗で可愛い人。その彼女がベリーダンスを踊るというので、それが“撒き餌“になって、「東急ハンズ」の奥手の路地を歩いている。その路地の奥に店はあった。ダンス・スタジオとかホールを思っていたのだが、案に反して広めのカフェ。その通路で踊るらしいのだ。お代は飯代だけ。そうなのか……。
前後左右をよく心得えずに来てしまったが、FOX-TVの『アーリー・My Love』に出てきそうなその女性弁護士のお師匠さんが中村インディアという人で、ま、いわば「インディア一座」のパフォーマンスってことらしい。

「じゃ、千円札なんか挟んじゃっていいの?」
「そういうことをするところじゃないので、おやめください」

とそのハンサム弁護士。
……「前後左右不案内」と言ったが、左隣は真矢みきを若くしたような美人と相席だ。左はとても充実している。神様に丁寧に案内されている。
20時30分からパフォーマンスが始まる。まず中村インディアのソロのダンスから口開け。


……彼女の踊りにずっと釘付けになってしまった。
日本人としてさえ小柄な方だろう。だが、そのしなやかでバランスのとれた肢体が不思議な運動率で全身の部位が動いている。止まっているところは一つもない。波動というべきか?
天分と鍛錬がここまで昇華させたのかなって思う。その上、セクシーといえばこれ以上ないような表情にも心奪われる。

何れにしても、人は自分の得意分野をやっていたり演じている時が最高に美しい表情になる。ハレルヤ!だ。
「女とは精製された不純物にほかならない」というアイロニックな言葉があるが(そうして、このにこごりは男の大好物だったりする、そしてときには身を滅ぼす)、インディアはそれを酒精分にまで純化させ、そしてそれが馥郁たる芳香を放つ。
  
人類・医学・植物・心理・物理・動物・海洋生物これら全てに学位を持ち動物行動学で博士号を持つライアル・ワトソンの著作に『未知の贈り物』というのがある。物語と科学的考察を見事に融合させた不思議な読み物である。
インドネシアの小さな島にたどり着き、少女ティアに出会う。その不思議な島で、暮らすうちにライアル・ワトソンは、マクロであり、同時に、ミクロでもある量子力学やあらゆる分子が波動という動きを続けると言うことなどがその古い小島の政(まつりごと)の中に脈を打っている事に、愕然とする。ティアは“聖なる踊り子“でもあった。彼女が踊ることにより、人間を消し去ったり、火事を起こす力を持っている。

(↑これはCafe Boemiaのものではありませんが……)

そのテイアとインディアとをダブらせながら彼女の踊りに心も感受性もこそげて持って行かれていた。視線を外すことなくずっと見ていた。観ていた。

彼女は幼い時から、踊ることが好きでクラシックバレーで英国にまで留学している。22歳の時にたまたま訪れたトルコ国境の村で、形式美のクラシック・バレーとはまったく異なるフリースタイルの踊り(チフテテリ?)に遭遇して心が震えたらしい。それからこの踊りに没入していったという。

講談社主催のミスiD1214(新しい時代にふさわしいまだ見たこともない女の子の発掘……)オーディションに出場して特別賞をもらったのだが、その時の審査員のコメントがステキだ。

「時代が違えば一国の運命を狂わす踊り子」(竹中 夏海:振付師・女優)
「彼女ならダンスで王国を滅ぼすことも、作ることも出来る」(山崎 まどか:コラムニスト、ライター、翻訳家)

私がインディアのファンになったとしても、彼女には何のメリットもないが、当分ファンでいよう……と考え考え渋谷駅に向かう。雨はもうすっかり上がっていた。

(完)

おもてなしって何ものだ?

オリンピック招致の滝川クリステルのプレゼンテーション以来、「おもてなし」があたかもA級市民権を獲得したかのようで誠に鬱陶しい。日本の文化が涵養した日本ならではの「おもてなし」と、最上級形容詞のように持ち上げられているのも笑止千万である。
「おもてなし」って和語表現にすると、なんとなくニュアンスが雅(みやび)な趣なのだが、漢語表現で普通に「応接」「接遇」っていえば済むことじゃないのか?


関西大学 文学部 国語 国文学専修の乾善彦 氏の説明によると、
「もてなす」は語源をたどると「もて」と「なす」に分解でき、なす(成す)は「そのように扱う、そのようにする」という意味があり、それに接頭語の「もて」が付いたもの。
「もて」というのは「もて騒ぐ」、「もて遊ぶ」などのように、動詞に付属して「意識的に物事を行う、特に強調する意味を添えるのだそうだ。

つまり、「もてなし」というのは“意識的に扱って目的を遂げる“ということになる。心の襞に入り込み、こちらの思いの方向に操作するという概念がむんむんとするではないのか?それに、美化語の「お」をつけて「おもてなし」で一丁上がりだ。
だから、「おもてなし」→「表無し」→「裏がある」というのは、穿ち過ぎで、それこそ裏読みに過ぎる。とはいえ、どうにしても、これには梅雨時のジトジトした湿気のように“打算“とか“損得勘定“がしっとりと含まれているとは思う。

この「おもてなし

」の類語を考えてみても、「おもんぱかる」「忖度する」「空気読む」「裏読みをする」「深読みをする」「寝技」「政治」「深慮遠謀」

「打算」「トラップに掛ける」……などと世故に長けた大人の像ばかり……。美しいか?

加えて、「日本ならではの……」と冠頭詞のように必ずつく。だが、英語でいうentertainとかhospitalityとどこが異なるのか?treatmentとはどうだ?もっと喜ばせるにはsurpriseというものさえ彼らは用意する。それらより、コレは上等なものなのか?
いずれにしろ、日本の文化のなかの「おもてなし」と彼らのそれらとの間にある差異は文化とか習俗の違いから誘導されてくるものに過ぎず、日本のものがが彼らのものより高度で洗練されているなんて思う事自体が“世間知らず“だ。
この「もてなし」とか「人蕩らし」で太閤にまで上り詰めた秀吉という人物を我々の歴史のなかに持っている。“今太閤”と言われた田中角栄もいる。確かに彼らは素晴らしい人材かも知れないが、必ずしも日本人の「理想的人物像」でもない。(むしろ、善と悪が溶け合った「トリック・スター」なんだろうとは思う……。)
なのに、サービス職、営業職もしくはそれに近い職種についている人間は、この「もてなし」「気配り」の周辺でこれらの“人蕩らしサクセス・ストーリー“を上司・先輩から耳たこで聞く羽目になる。
営業職には営業職としての“本懐”の部分がある。「コア・コピタンス」(競争力)といわれる芯棒である。それにも関わらず、競争力のすべてが“人蕩らし”術とか「おもてなし」法に寄せられて語られるのはいかにも跛行的ではないのか?
さらに悪い事に、「おもてなし」というのは“底なし沼”である。ここまででいいという線引きがいつもない。仮に自分の裁量で線引きなんぞすると、「思慮が足りない」「営業センスに欠ける」時には「社会性に欠ける」などと責められ「頭は常に全回転、八方に気を配って一分の隙もあってはならない」などとお叱言を食らう。
すべての人がセールスマンとか、ホテルマンとかフライト・アテンダントや(アメリカなどの)チップ収入のレストランのウエイターの態度・物腰でいいわけはない。だが今やそうじゃない業種の者にも、常態的にというか、同調圧力的に“サービス残業“→「給料以上の使役の要求」”を強いることになっている。どんどんと“ブラック企業”への一本道の上を走る。
われわれはタフなシリンダーと敏捷なピストンが欲しいのだ。それらを円滑に動かすために潤滑油が必要なだけだ。最高の純度と粘度の潤滑油を追い求めたところで、シリンダーとピストンが旧弊でガタの来ているものならどうしたって救われない。何の意味もない。本と末とを転倒してはならない。
日本の粋とか優雅さを煮詰めたような京都。その京都の「おもてなし」……。
「ちょっと上がっていきなはれ」「お茶漬け食べていきなはれ」「お茶もう一杯入れましょか」は、京都ではすべて「はよ帰れ!」という意味だという。永らく権力への奥座敷、貸座敷であった京都のコンプレックスで凄みのある反語法。ソシュール記号論における「シニフィエ」のごとく、もしくは「暗喩」のごとく、この“素振り“をも読み込み飲み込む教養が「おもてなし」を受ける方にも必要だということだ。これこそが「おもてなし」の本質を衝いているように思える。
(完)

「引き寄せの法則」ってなんだ?

世に「引き寄せの法則」というものがあるらしい。
いわゆる啓発書っていうもの。この類は最近では全く読まない。遠い以前は何冊か読んだ。でも、「啓発本」で“啓発“されたことなんかこれまで一度もないからだ。本屋でコレを見かけたとしても、“またかよ、チッ!“って心で呟いて通り過ぎたと思う。

誰かの言葉だったと思うが、

「目標を立て願ったからといって、そこへ到達できるかどうかはわからない。だが、願わないで立ち止まっていては、可能性はゼロだ」

がストン!と腑に落ちる。おっしゃる通り。明確にゴールを設定し、的確な方法論を考え、刻苦勉励する。それでも、到達率は高くはない。ラックとかタナボタってそうそうはない。でも、願わなければ、何も始まらない。

また、伝説の独学の学者エリック・ホッファーの言葉も一種詩的でステキだ。

「史上しばしば、行動は言語の反響(エコー)であった」(『情熱的な精神状態』)

これは、われわれの人生で幾度かは経験してきたことなので深く頷く。
獲得したい像(イメージ)をクリアに言語化をする。その言語が脳内の“エコー・チェンバー“で、いつも木霊している。それにいざなわれて行動に移される。

ところで、これって「言霊」と置き換えてもいいんじゃないか?と思う。
われわれの文化には「言霊」信仰があるし、それが古代ギリシャ語のlogosとも大いに重なり合う。かの如く、いろんな民族それぞれがまるで「意伝子」(「ミーム」:リチャード・ドーソン)で伝播したかのように“言葉の力“や“念ずる力“の信仰を持っている。

さてと。
心理学者は“願う“とか“念ずる“ということを「意識」と普遍化して考える。
「意識したものだけ、情報として入ってくる」。われわれの脳はそのようにできている、という。

こういう情報社会に生きているわけだから、自分の意識の方向をちょっと移動するだけで、……つまり、アンテナの指向性を狭く鋭く設定すれば、自分にとって必要な情報が雪崩れを打って入ってくる。そして、その玉石混交をふるい分けるフィルタリングさえ間違わなければ、自分なりの考察、洞察、思想を一次元以上アップして構築できる。そして、そのコンセプトをもって行動に移す。
たまたまハウジングメーカーの担当になった時、それまで一切目に入らなかったその関連の情報とか広告がわんさと音を立てるように目に飛び込んできて立ち眩みするくらいな経験をしたことがある。
ま、これが“引き寄せ“と言えば言えるかもしれないのだが。そこまででいい。それに精神主義とかスピリチャルが含まれたり加わってくることにはぞっとしない。そういう怪しげなものでシュガー・コーティングしてくれなくていい。

学生時代から論理とか唯物論に馴染んできたので、こういう類の唯心論にはどうしてもいかがわしく感じるタチなんだなぁと自己分析はしているんのだが……。
いずれにしろ、日本の諺で「類は友を呼ぶ」「噂をすれば影をさす」「笑う門には副来る」などなどがあるが、「引き寄せ」などと大上段に振りかぶらなくてもこれくらいでいいんじゃない?

ま、アレだ。「精神主義」とか「根性」とか、もしくは「スピリチャル」ってことが蛇蝎のようにキライなんだと思う。

『心でっかちの日本人ー集団主義文化という幻想』(山岸俊男)という「いじめ」を解析した本がある。見事な良書である。このタイトルの「心でっかち」というのは山岸さんの造語である。もちろん、「頭でっかち」の反対語である。「頭でっかち」が論理、考察を第一に物を考え過ぎるということとするならば、「心でっかち」とは情緒とか精神論で考え過ぎるということになる。つまり、

「なんでもかんでも心の問題にするな。原因は構造にある」

というのが彼の警告である。

加えて最近、ラノベの作家だという 永島裕士 (@BSJokerT2CRX) さんがtwitterで次のように呟いている。
「本当にやってる人間、取り組んでる人間っていうのは具体的で物質的な話をするんだ。なぜなら世界は精神じゃなく物理で動いてるから。ごく当たり前のことなんだけど、これがやってない人間には分からないし、分かってても語るべき情報もノウハウもないから話す内容がどんどんスピリチュアルになっていく」(May 17, 2016)

まったく、その通り。

……と、ここまで「引き寄せの法則」関連の本を一冊も読んだこともないのに、この“法則“について“いかがなもの?“というスタンスで書き進めてきた。この“法則“から何らかの火の粉が我が身に降りかかってきたわけでもないのに……。加えて、とんでもなくアサッテの方向への“文句たれ“を言っている気もしてきた。
この「引き寄せの法則」を信じたり、ノウハウを日常に取り入れたり、ゴールに到達すべく精進している人を非難とか弾劾する気はさらさらない。「信じるものは救われる」ということだけでも尊い。……多分。

それにしても、福島原発事故で家を捨て避難した人、熊本地震で家の下敷きになった人に、「引き寄せの法則」はどういう説明を用意しているのか?どういう因果を引き寄せたのか?ぜひ、聞いてみたい。
「人を呪わば穴二つ」とか「泣きっ面に蜂」とかは言わないんだろうね?

 (完)                                

『舟を編む』読書ノート

友人の推薦があったからだろう、通りがかりの本屋でマラソンランナーが給水場所でペットボトルの水をさらうようにこの本を買ってしまった。

舟を編む』とは随分と衒ったタイトルだなと思ったが、読み始めて間もなく判った。つまり「大渡海」という国語大辞典——言葉の大海原を漕ぎ行く小舟に喩えているーを出版するまでの悪戦苦闘物語。

登場人物は馬締光也、林香具矢、西岡、岸辺みどり、松本先生の5人がメインのキャスティングだが、ほぼまじめ(馬締)君のワンマン・ストーリー。いや、「大渡海」が本当の主役なのかもしれん。

作者の取材というか仕込みが丁寧で、リアリティが持つ迫力がある。どんどん背中を押されるように読まされてしまった。

作家は私とって始めての「三浦しをん」。
……「シオン」というのは「シオニズム」の語源で、もともとはイスラエルの古名じゃなかったのかな?彼女がシオニストかどうかは知らない。
とあれ、彼女のレトリックにほほう!と思うことがしばしば。
いくつかをピックアップしてみよう。


・ ポットの脳天をじゃこじゃこ押し、急須にお湯をつぎたす。
・ ……と骨折する勢いで首をかしげたくなる……
・ 「こりゃまた、壮絶にうだつが上がらなそうだな」
・ 「あいかわらず、目の覚めるような不細工だなあ」
・ 温泉のようにこんこんと湧く、苦い感情の源をたどると、なんとも情けない結論にたどり着く。

・「は?!」突如として霊界からの声が聞こえたと言わんばかりに、麗美が目を開く。
・ そしてなにも言わないまま、西岡の頭を胸に抱き寄せた。水面に落ちたきれいな花を救うように。
・ 馬締とちがい、西岡は必要ならば嘘を八百でも千でも並べ立てられる。
・ 冬の午後の淡く白い光が、キャンパスに差している。葉を落としたイチョウの枝が、空にひび割れを作っている。
・ 整理されるのを待つ膨大な言葉の気配が、夜の廊下ににじむようだ。
・ ・「あーうーあーうー」その声は低く間断なくつづいている。産気づいた虎でも飼っているのか?
・ 男は主任の威厳の片鱗もうかがわせず、机の上を手探りしている。
・ 岸辺が机に歩み寄ると、営業部長たちは二手にわかれて即座に道をあけた。海を割ったモーゼになった気分だ。
・ 松本先生は顔を上げ、美しい蝶をつかまえた少年のように微笑んだ。


日本ではそれほどレトリックが発達してこなかった。俳句・和歌のようなショートな定型詩では極端に字数が限られているので、どうしても隠喩などのレトリックが多用されるが、小説においてレトリックを使うのは“上質な書き手“とはみなされないという話を聞いたことがある。
だが、翻訳を数多くこなしてきた村上春樹の作品はその翻訳の作業の影響なんだろう、星の数ほどのレトリックで散りばめられている。彼がベストセラー作家になるにつれ、小説におけるレトリックは日本でも一般的なものになってきたように思う。
三浦しをんも相当にレトリックを寵愛しているように見える。

それはともかく、これを読み終わって辞書・辞典に対して深い愛情とリスペクトを払うようになった。
(完)

絶望のパスタ

最近ちょっと気に入らないことがある。「アーリオ・オリオ・鶏肉と菜の花」ってどうなの?
「アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ」というメニューから来たんだろうけど、これは「ニンニク×オリーブ油×唐辛子」っていう意味のメニューだし、それが一塊の言葉じゃないの?

「サツマノカミ」が薩摩守忠度(サツマノカミタダノリ)という平家の貴族に由来して、無賃乗車(ただ乗り)を意味する古典的な隠語というかシャレなのに、“サツマノカミ・ただ酒“ではちょっとなあって思う。

いやいや、これは例が古すぎてダメだ。「薩摩守」なんて「肥後守」と同様に死語になっている。

まあ、とにかく「アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ」っていうパスタは客には出さないシェフたちの“賄い飯“だ。客に出すのは日本だけだって聞いたことがある。
何も具が入っていないパスタ……食いしん坊のイタリア人は落胆のあまり、「絶望のパスタ」ってネーミングした。日本で言えば「素うどん」だね。もしくは“一杯のかけ蕎麦“だ。

で、冒頭のメニューは「鶏肉と菜の花のパスタ」って言ってくれれば腑に落ちる。(じゃないと、ニンニクとオリーブ油は使っているけど、唐辛子は入れてないって思っちゃう。)
ま、それにしても、目くじら立てるほどのことではない、だから“ちょっと気になること“と言った。


もともとパスタが好きだったんだなァってことに最近気づいた。この一年ほど自分でパスタを作るようになり、週に多いときには二、三度は食べることもあるが、飽きはこない。

「春、夏、秋、冬と僕はスパゲティーを茹でつづけた。それはまるで何かへの復讐のようでもあった。裏切った恋人から送られた古い恋文の束を暖炉の火の中に滑り込ませる孤独な女のように、僕はスパゲティを茹でつづけた。」

と、村上春樹が『スパゲティーの一年』のなかで書いている。

スパゲティーを茹でていると必ずこのフレーズが頭のなかをリフレインされるのにはちょっと閉口する。やれやれ、確かに春夏秋冬とスパゲティーを茹で続けて来た。ズッシリとした恋文の束を暖炉では燃やさないが……。

村上春樹がなぜ一年もスパゲティーを茹で続けたのかは知らないが、わが方には理由は確然とある。「男子厨房に入らず」と頑なにきたものだが、最近はそういう力関係がすっかり崩れた。(どちらさまでも、こういう経年劣化になっていると聞く……)家人からのやんわりとした脅迫がある。「作ってくれる?」と。そして作れるものがスパだけなんだ。

ただ好都合なことに、この“アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ(ニンニク・オリーブ油・唐辛子)“の組み合わせは万能のソースでかつ融通無碍だ。この中に何をぶち込んでも失敗なくちゃんと成立させてしまう素晴らしい力がある。四季の花々も、毒蛇も、サボテンも、バーファローも、コヨーテも、ナマズも、イロコイ族も全てを豊かな胸にしっとりとかき抱く母なる大地のように……。


ゴスペルの女王と言われたマヘリア・ジャクソンが、

「ブルースは絶望の歌だが、ゴスペルは希望の歌だ」

と、言っている。

当方も精々「絶望のパスタ」ではなく「希望のパスタ」にしていこうじゃないか。

※「プッタネスカ」。なぜ「売春婦」という名前なのかよくは知らない。掘り起こせばなかなかのストーリーがあるんだろうという予感はする。本式にはアンチョビで作る。これはそれの代わりに安価な塩辛を投入。他、トマト、ツナ、オリーブ、白菜、長ネギ、エンドウ、オニオン・スライスのトッピング。もちろん、塩・胡椒。

(完)

『酒場 學校の日々』読書ノート

草野心平が当初は『火の車』というバーを持っていて、その次に新宿ゴールデン街に持ったのが『學校』という名の酒場だった。
草野心平を卒論のテーマにしたくらいの草野ファンの金井真紀さんが、強力な磁石に引きつけられるビール瓶の蓋のように、このゴールデン街に引き寄せられ、「水曜日だけのママ」という臨時雇い教師をやる羽目になってしまった。そしてそのことは、この酒場が2013年に閉店するまでの5年間続いた。
その間そこで起きたこと、聞いたこと、観察したことを纏めた本である。(イラストも彼女の手になるもの。)



私は下戸遺伝子の持ち主で、自分の人生の傍に酒があったことは皆無に近い。自分の意思で酒場に赴いたこともほとんどない。
ただ、「ゴールデン街」には、20代の頃、誰かに連れられて一度は行ったことがあるかもしれない。さりながら、特段の興趣が起きたということでもなかった。ただの通りすがりの者でしかない。

草野心平。名前だけは知ってはいたが、彼の詩をきちんと読んだことはなかった。

何れのアングルからも、この本の読者としては、私ははなはだ似つかわしくない者だと思う。

考現学」という言葉が「考古学」の古→現にして新造された言葉だと聞いた。ゴールデン街がまだまだこの先“昭和の遺跡“として生き残っていくのか覚束ないけど、この本が考古学をまぶした考現学になっていて、私を「酒場」とか「酒を飲むということ」の疑似体験に誘ってくれた。

信頼する人が金井真紀さんを「言葉のセンスがある人よ」といって紹介してくれた。ああ、彼女はこういうことを言っているんだろうなと思った箇所がいくつかあった。マークしてあるところから、抜書きをしてみる。


・ヒヨコが最初に出会ったものを親だと認識する刷込み現象とどこか似ていて、志水さんと私の友情は、おやどりとヒヨコのような不思議な味をしている。
・禮子さん曰く。「わたし、死んだら地獄がいいな。天国に行っても、知っている人誰もいないもん。心平さんも天国に行くはずないし」
・「真紀ちゃん、わたし、非暴力のためなら鉄砲玉にだってなるわ」
・ うっとり夜は更け、そして事件は起きた
・ 「母親が死んだらこの世が終わるんじゃないかと思ったけど、亡くなった翌日も世の中は変わらずにあった」
・ 「お互いの人生の一番輝いていた時期を知っているから、どうしても厳しくできないの。それがあたしの意気地のないところなんだけど」
・ ……そして、この瞬間を味あうためにぜんぶがあったんだということが、なんとなくわかった。
・ 禮子さんの留守を預かった二か月のあいだに知ってしまった滋味が、わたしの襟首をつかんで離さないのだ。
・ ……すると薄暗くて狭い學校のなかに、心平さんをはじめとする「昔の男ども」があわあわと姿をあらわすのだった。
・ 落第つづけの優等生
・ あれはもう独特の時代なのね。たぶん……戦争に負けたということ……口には出さないけど、男たちの心のなかにはずっとそれがあったんじゃないかな。戦争が終わってホッとしたというものもあるけど、やっぱり日本で生まれ育った男がね、たとえ共産党だろうとなんだろうと、戦争で負けたということについては……何か心のなかに屈折するものを持っていたのでしょうね。……
辻まことを火葬したとき、心平さんと串田孫一は遺骨を食べた……らしい。
・ 誰かがくれた鮭一匹が、たった一つの装飾品だったな。柱にしばっておいて、片方からはさみで削って食べていたんだ。前を食い、裏返して後ろを食い、しっぽから骨、最後に頭と、全部食べた。歯は丈夫だったね。だから、鮭の骨を食うなんて、わけなかった。鮭の歯と俺の歯とどっちが堅い、何て言いながら何も残さずに全部食べてしまうわけだ。
草野心平:『凸凹の道』)
・ 「君、徳利は『とくり』と言いなさい。『どくり』と言ってだれが喜ぶ。言った人は喜ばない。聞いた人も喜ばない。徳利自身も喜ばない。それを君はどうして言うのだ」
・ はるか彼方のオホーツク
・お祭りはずっと続かないからお祭りなのだ。

昨日生まれたタコの子が
弾に当たって名誉の戦死
タコの遺骨は
いつ帰る
骨がないから帰れない
タコの母さん悲しかろ


相当に端折ったが、こんなところかな……。


赤坂の花屋のティールームで金井さんと二度目のデート。
会った瞬間から溢れて滴り落ちるような愛嬌。思わずその滴りを両手でドンブリを作り、受け止めたくらいだ。
“人生の達人“にはこのタイプが多い。愛嬌はIQに通じる。
「あれはなぜ書いたの?」
という極めてプリミティブな質問に、金井さんは……
「この世から消えてしまった『酒場・學校』の墓碑を書きたかった……」

それだけではないと思う。
金井さんにとってあの5年はベラージュ(le bel age:美しき時:青春)であったのだと思う。
まだその魔力に襟首を掴まれているように見えた。

(完)

※※ 金井真紀さんのウエブ・マガジン「うずまき堂マガジン」

http://uzumakido.com/

いい本を教えてくれる友人はいい友人である

大学で先生の真似事をやって、うかうかと随分な時間が経ってしまった。
当初は広告の「企画」、次いで「プロデューサー論」かな、そして最近のものは「日本語のレトリック」で、この最後のものは、さすがに自分でも相当に言葉関連の本も読み勉強もした。

一貫して本を読め!読め!と言い続けて、次々と本を紹介したが、今日日の学生は何かと忙しくなかなか読んではくれない。

「学生時代に本を読まないのは勝手だけど、そのつけは全部自分が払うんだから。知識や教養は力じゃないと思っているやつはずいぶん増えたけど、結局、無知なものはやっぱり無知ですからね。どんなに気が良くて、どんなに一生懸命でも、ものを知らないというのは自分がどこにいるか知らないことですから」

……という宮崎駿さんの言葉を取り上げて鼓舞したりもしたが、どれほどの触発になったものやら……。

まあ、本を読む学生はすでに小・中学校の時代から読んでいるし、本を読む習慣のない学生はそのまま社会にずるり!と出て行ってしまう。そこから苦労するのは勝手だ。二十歳だとして、10年ほどの間に失い続けてきたものを取り戻するためには、また10年の歳月を必要とする。いや、もっと掛かるだろう。


「本を読む」ことにいつもアクセントを置いてきたせいなのか、彼ら学生から本をプレゼントされてきた。意趣返しだったということではないと思うが……。
(以下、著者敬称略)


①『魂がふるえるとき』:宮本輝

宮本輝が若い人から、「いい小説を読みたいけど、何がいいですか?」と聞かれることが多く、それではと都合18人の作家の短編を抽出してきて“物語の贈り物“をしてやろうという趣旨の本。

井上靖の『人妻』は原稿用紙2枚。文庫本で1ページ。だが、膨大な心と人生を果実のひと雫に滴らせている。
尾崎一雄の随筆『虫のいろいろ』。20代の頃、文芸誌か何かで読んで印象深いエッセイに数十年ぶりに遭遇した。これを読んで以来ずっと蜘蛛を尊敬していたのだ。

これをプレゼントしてくれた男子学生はそもそもラッパーで、それから言葉に関心を持ち始めたと言う。それゆえコピーライターになりたがっていたけど、今は広告代理店で営業をしている。


②『ショートソング』:枡野浩一



口語短歌の歌人である枡野浩一の小説なのだが、多くの短歌が登場してきて、いい感じに綯い交ぜになっている。
もともと短歌には季語というものがなく、それが口語になっちゃうと本当に自由な天地になる。
彼は自らを「世界で一番売れている現役男性歌人」と称しているが誇張ではない。伝統的な歌壇がほとんど秘密結社めいているのに対してこの“流派“はオープンで仲間も多い。彼はコピーライター、エッセイ、小説、お笑い芸人などいろいろなことをやってきたが、すべては口語短歌をやりたいがためと見える。
詩人の草野心平は酒場もやっていたが、詩人を成立させるために酒場をやっていたわけで、酒場のオヤジが詩を書いていたわけではない。枡野浩一も口語短歌以外は世過ぎ身過ぎなんだと思う。

こここに載っていた短歌で好きなものを二つ。

好きだった雨 雨だったあのころの日々 あの頃の日々だった君
                         (枡野浩一
だいじょうぶ 急ぐ旅ではないのだし 急いでないし 旅でもない
                        (宇都宮敦)

これを呉れた男子学生はmixiで口語短歌の同人会をやっていたが、
卒業して今や広告代理店の営業をやっている。


③『白磁の人』:江宮隆之


韓国から留学生がいた。「厳兄」という強面の名前だった。
私は留学生にはすごく弱い。慣れない第二外国語で授業を聴き、テストをクリアしていくのは半端なことではないのは身に沁みている。自分もアメリカの大学で悪戦苦闘したからだ。

そのころは、今ほどではないにしても韓国や朝鮮に対してヘイトする気分が隠然と存在していた。
在日韓国人の息子である劇作家の「つかこうへい」の名が「いつか公平に」という彼の祈りから来たというくらいだから、差別はずっとあり続けたわけだし……)
そんなこんなで、彼に司馬遼太郎さんの『からの国紀行』を贈った。


この本は……
「私が韓国にゆきたいと思ったのは、十代のおわりごろからである」……その宿願をはたすため、いまだ“日帝支配三十六年”の傷口の乾かぬなかをゆく。素朴な農村をたどって加羅新羅百済の故地を訪ね、「韓」と「倭」の原型に触れようとする旅は、海峡をはさんだ両国の民が、はるかいにしえから分かちがたく交わってきたことを確認する旅でもあった。……と述べ、実際、“地理的な差異はあるものの文化的には一衣帯水である“というニュアンスを述べている。

「この司馬さんのように君の国のことはきちんと深く理解している人もいる。君もみだりにへこたれたり、落ち込んだりはしないように。胸張って大通りを歩け」と言ってプレゼントした。

そのあと、彼がプレゼント返しをしてくれたのが、この『白磁の人』
植民地政策下の挑戦で、民芸の中に朝鮮民族文化の美を見つけ出し、朝鮮の人々を愛し朝鮮の人々から愛された日本人林業技師がいた。浅川巧。日本では知る人が少ない。現在もソウル郊外の共同墓地に眠る。碑文にはハングルで「韓国が好きで、韓国人を愛し、韓国の山と民芸に身を捧げた日本人、ここに韓国の土となれり」

この浅川巧さんは韓国の教科書にも記述されてと出てくると厳兄は言っていた。

その彼はソウルで日系のゲーム会社で頑張っている。


④『鈴のなる道』:星野富弘


<花の詩画集>という副題が添えられている。ナニよこれ?と思って多少パラパラと読んでいるうちにある記述にぶつかった。

この星野さんという人は元・中学校の体育教師だった。クラブ活動の指導中に誤って頸髄を損傷して手足の自由を失ってしまった。
(へ?)
「私が一つの作品に仕上げるのに大体十日から二十日かかります、
一日にどんなに無理しても二時間くらいしか筆をくわえられません」
(えっ!……筆をくわえてなのかァ……この絵も文字も)


彼は電動の車椅子に乗って詩と画のハンティングに出掛ける。未舗装のでこぼこ道を通る時には脳味噌がひっくり返るほどの振動に往生していた。ある人が鈴を呉れた。それを自分の手では振ることはできないので、車椅子にぶら下げた。すると、でこぼこ道に差し掛かると澄んだ音色がチリンチリンチリリ〜ンと鳴る。今まで苦痛でしかなかったデコボコ道が楽しみになったと言う。
これがこの詩画集の題名になっている。


⑤『みすゞさんぽ』:金子みすゞ




作家も本の名も知ってはいたが、この詩集が自分の手元に来るとは露ほども思っていなかった。

その中の一つ。


 雨のあと

日かげの葉っぱは
泣きむしだ
ほろりほろりと
泣いている。

日向の葉っぱは
笑い出す
なみだの痕が
もう乾く。

日かげの葉っぱの
泣き虫に、誰か、ハンカチ
貸してやれ。

明治36年の生まれ。20歳くらいから詩作に。23歳で結婚して一女をもうけるが、夫がみすゞの父親との相克などによりその女の子を連れて離婚することになった。そうはさせじと服毒自殺をして阻止しようとした。まだ若い26歳の母みすゞの死であった。
ハンカチが欲しかったのは彼女自身だったのだろう。


⑥『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』:立花隆




田中金脈問題を追及して一躍全国区のルポライターになり、今や社会、宇宙、脳、生と死などなどにまたがる“知の巨人“と称されるあの立花隆の本である。書庫兼書斎の通称猫ビルに10万冊と言われる蔵書を有している。
この標記の本だけで300冊のダイジェストが詰め込まれている。自身でも言っているが、彼の読書というのは“職業としての“が頭に付く。アメリカの大学生が必須の「スキム・リーディング」というやつだ。つまり、“要約と引用“と言い換えてもいい。

だが、この脆弱な読者はイントロ部分でお腹がいっぱいになり、ちゃんと読まないまま書棚に飾ってある。贈ってくれた学生に合わす顔がない。ま、それが学生たちの企みだったのかもしれないのだが……。

※④⑤⑹は何人かの学生がカネを出し合い、私の誕生日祝いとしてプレゼントしてくれたもの。


⑦『夜露死苦〜現代詩』都築響一



「アートの最前線は美術館や美術大学ではなく、天才とクズと、真実とハッタリがからみあうストリートにある」

と目から火花が弾けるような名言を吐いた都築響一の本である。『ポパイ』『ブルータス』の編集に携わり、その後現代美術、建築、写真、デザインなどの分野で編集・執筆で活動する学際、業際の人だ。彼の定義するストリートの“アート“ をずっとコレクションをしてきている。





最初のページにある


人生八王子

という現代詩にドギマギする。老人病院の介護士が書き留めたものだという。痴呆系とジャンルされている。今なら認知系か?


秋天
母を殺せし
手を透かす

桜ほろほろ
死んでしまえと
降りかかる


母親を殺し、31歳で死刑になった男がいる。その処刑前の絶句である。


今年から貝が胃に棲み始めました。

誤変換。シュールだ……。

他に、タイトルになっている暴走族系の「ポエム」、玉置宏の名調子、ラップや演歌の文句などなどがぎっしりと並ぶ。
これは間違いなくスゴ本の一つだと思う。

この本をくれた女子の学生は、好きな言葉を挙げなさいというホームワークに「あけもどろ 」という言葉を提出してきた。沖縄・奄美諸島に伝わる古代歌謡「おもろそうし」のなかでの言葉で、海に登ってくる日の出……さまざまな色が混じり合い飛び散っている壮観を描写する言葉だという。
言葉のセンスがきらきらしていた彼女。その娘(こ)が、この『夜露死苦』をなぜくれたのかは、分かるような分からないような……。

彼女は現在エンタメ情報e-マガジンのライターをイキイキとやっている。


⑧『カラフル』:森絵都


たくさんの児童文学賞をもらった後、小説にも進出してきて、この『カラフル』の後の『風に舞い上がるビニールシート』で直木賞を貰った森絵都の小説の文庫版。

「ぼく」というのが死んじゃっているのだが、天使の気まぐれで、自殺した小林真という中学校三年生の肉体に入り、彼を演じ始める……というもの。
確かにティーンネージャー向けと言われているだけに、読みやすいがプロットの立て方その他が児童文学に片足は突っ込んでいる。

この本の贈り主は、詩作をしていて、詩の朗読会にも参加している女子学生であった。
彼女はアルチュール・ランボオ宮沢賢治と同じように「共感覚」の持ち主であった。小学校の頃よりの半端ない読書量とその「共感覚」が“角筋“のように効いている鋭敏な言葉の感覚……。
いまだに、詩作に打ち込んでいるといいな……。


長くなってしまった。

人生はせいぜい50年とちょっと。他人の人生までは経験できる時間はない。だが、本は他の人生を垣間見せてくれる。ちょっと覗けたり、ときには、上澄みのクリームをちょこっと味見なんかもできたりする。
そうなんだ、新たな本との出会いは新たな価値観とか今までとは異なる視座を与えてくれる。

信頼できる人から勧めてもらった本はなるべく読むようにしてきた。素晴らしい出会いを数多く経験してきてきたから……。学生たちから贈られた本も私の人生に魅力的な彩りを加えてくれた。「あけもどろ」なのである。

「いい本を教えてくれる友人はいい友人である」

……ってどこかで聞いた。
彼らも十分に「いい友人」だ。


(完)